縁は異なもの
Date:2014.09.17
休みといっても受験生が我が者顔で徘徊する自宅に所詮居場所などなく、今年のゴールデンウイークをいつものように香港で過ごした。とは言え渡航既に30数回目、毎度行く林奇苑茶行にて彼の地に住んでいるのかとまた同じことを尋ねられ、ニコニコしながら御茶を濁せば、あとはすることもなく雑踏を彷徨うのみ。そんな最中、ホテルで目にした現地の日経の書評欄の一項に思わず目が行った。寺田博著『文芸誌編集実記』である。台北あたりだったらそごう上階のジュンク堂にでも走ればすぐさま手にし得たかもしれないけれど、香港ではそうも行かない。帰って急ぎ丸善にて残り少ない一冊をめでたく購入した。
今は昔。小中高とエスカレーターの中学時代も終わりに近い頃、ふと手にした倉橋由美子『暗い旅』の文体の衝撃は今でも昨日の如く思い出す。それから全作品8巻を買うまでに熱中し、その過程で知ったロレンス=ダレルのアレクサンドリア四重奏にはもっと圧倒された。河出の世界文学全集で第1巻『ジュスティーヌ」と第3巻『マウントオリーブ』を読み、『ジュスティーヌ』はFaber&Faber版まで買ったのに、残りの『バルタザール』と『クレア』は何処かと途方に暮れていたら、やがて河出が新しい世界の文学シリーズ中の単行本で出した。他にビュトールの『心変わり』も出て、『暗い旅』の文体の独自性が議論された理由がわかった気がした。等々、その頃特定の読者に河出書房新社はある圧倒的な存在で、その由来たる当時河出が出していた文芸誌『文芸』の元編集長として令名とどろく故寺田博氏の仕事が今でも取り上げられるのには、合点と懐旧の念が生ずるばかり。
そんな話は文学の世界と思いきや、何故か我が分野とも関わりがある。と言うより、戦後川島武宣先生が『科学としての法律学』を著され、大系性と法則性に科学的言語という3要素を備えていることで法律学も科学たり得ると天下晴れて主張されたけれど、かかる御高説が説かれること自体、どこかで理系でないことの煩悶が色濃く滲んでいるかの如くにて、そう、法律学は歴然たる文系科目に他ならず、達意の文あらば、説得のための技術たる我が専門領域では、それにて必要十分以上の評価に値すると思えてならないのである。
こんなことを書くのも、法科大学院にて接した答案中、少数ながら文章それ自体の圧倒的な上手さに驚嘆したものがあり、その筆頭が上記故寺田元編集長の御息女の手になることを、日経の書評を読んだ香港で直ちに思い出したからである。そして、全くの法学未修者だった彼女は、今や立派に弁護士として活躍している。司法試験委員も依頼者も裁判所も、ゆえに手だれの文章にはやはり等しく立ちどころに膝を打つということなのだろう。だから、書き手よ来たれと、異分野出身者を法曹へという制度趣旨を担う法科大学院の教員としては、例え予備試験の足音喧しい今日と言えども、声を大に叫ばずにはいられない。知識は後日の学習で補い得るが、文章の巧拙にはある種天性の資質すらあるかも知れず、それかあらぬか、文章の達人は皆むしろ他分野から来て、等しく試験に受かっている。
余談ながら、毎年虜囚の気分で末席を汚す入試監督で、ある年富士川義之主任監督の補助を務めたことがあった。憧れのダレルの作品中『トウンク』を先生訳で高校の昔に読んでいたので、監督終了後思い余って積年の恋を先生に告白してみた。御自身は大昔の翻訳の事実を忘れていらしたが、ややあって、ああと思い出され、ダレルなら高松雄一先生も東大の後駒澤にいたんだよと、一層驚いた話を教えて下さった。アレクサンドリア四重奏4冊全部の翻訳者である。そんなやりとりからほどなく、4冊の各改訳版がやはり河出から出て、今書棚にある。因みに、自分の前任校國學院に一時期両先生もいらしたらしい。
倉橋由美子は9年前に他界したが、十年来の非常勤先明治大学が母校ゆえ、やがて図書館入口で開かれた回顧展への入場も叶い、近年ではその名を冠した文学賞まで設けられたと、同じく卒業生に因む阿久悠作詞賞ともども写真入りポスターで遍く知らしめられている情景が、出講日ごとに目に入る。そして、回顧展で知ったことに、高知出身の倉橋由美子は、一級建築士の御息女と共に晩年中伊豆に住んでいた。家内の実家のすぐ近くである。
縁は異なもの、と言うべきか。(H)