「客観」というもの ― (最終的)取りまとめ(案)関連報道に接して
Date:2013.07.13
「法科大学院は、客観的に見て、厳しい状況にある」。
この「客観的に見て」とは、「一般人から見て」という意味である。「特定人から」すなわち「主観的に」もっといえば「恣意的に」見たものではない、ということである。
では、この見地によれば、「厳しい」状況にあるのかそうでないかは、どのような「基準」によって、何を「基礎」にして、線引きされるのだろうか。
一般人の「感覚」・「印象」を基準として線引きするなら、その基礎には、誰から見てもわかりやすい「客観的な数値」を置くと坐りがよい(ここでの「客観的」は、意識から独立した「外在」的事物、観察者の「対象」となる事物という意味での「客観」である)。
というのも、「プロセス」としての法科大学院教育は、それ自体としては、「数値」化しにくく、「対象」化しにくいからである。ならば、プロセスの「成果」として「司法試験合格率」を評価の対象にしようということになる。そのためには、「司法試験の合否」が「法科大学院の理念を具現した法曹としての資格があるか否か」と一致していることが前提となるが、現行の司法試験がそれを実現しているとは思えないし、そもそも司法試験にそこまでの役割を求めるべきでもない。裏返していえば、「司法試験合格率」だけで「教育力」なり「教育の質」なりを評価できないことになる。そこに「第三者評価制度」の意義がある。
にもかかわらず、一般人にとって直感的にわかりやすいことから、司法試験合格率のみをもって法科大学院の「教育力」を問い、司法試験合格率の低さの原因は、その法科大学院に教育力=法曹養成能力がないことに尽きると断じるような「一般人の見方」が作られていけば、法科大学院は、志願者数・入学者数を減らし、「理念を具現した法曹」を養成するための「教育をする相手」を失っていく。
昨年の司法試験合格率について、本法科大学院が1割未満の法科大学院のひとつとして記事掲載された。そこでは他の小規模法科大学院も名を連ねている。掲載された20校のうち8校が募集停止になっていることも明示されていた。見る者にとって、他の12校も早晩募集停止になるかもしれないとの憶測をもたせるような掲載の仕方である。
「合格者5名/受験者51名、合格率9.8%」は、なるほど「客観的な数値」であり、一般人にとってわかりやすい評価資料である。しかし、かりにもう「1名」合格して「合格者6名/受験者51名、合格率11.8%」であったならば、本法科大学院は、掲載されている他の11校よりも「教育力」があることになるのだろうか。
・・・わたくしたちは、この「1名」になれなかった人たちを知っている。何点足りなかったか、それをどの科目で取ることができ、取るべきだったかも。
その記事では、もうひとつ「客観的な数値」が挙げられていた。予備試験合格者の司法試験合格者数・合格率である。「合格者58名/受験者85名、合格率68.2%」という数値は正しい。しかし、この合格者数が58名/9118名(予備試験受験者数)、合格率0.6%であること、99.4%が「一発勝負」という「点」の勝負に敗れていることに言及されることはない。司法試験に合格しなかった9060名の予備試験受験者のうちのどれだけの人たちが、その前年の平成23年予備試験を受験し合格しなかったのか、また、本年の平成25年予備試験を受験し合格しなかったのか、その「数値」には関心がないかのようである・・・「予備試験受験者数」が使われているのは、本年のそれが11255名で、「法科大学院志願者数13924名に迫っている」、したがって、法科大学院は必要とされていないという脈絡においてである。
「司法試験合格率」を法科大学院の「教育力」をはかる指標のひとつにすることにことさら異を唱えているわけではない。ただ、いうまでもなく法科大学院は「教育機関」であり、「理論と実務の架橋という理念を具現した法曹」を養成するために、体系的・段階的学修、横断的学修を「線」の教育としておこなっている。いわば「司法試験」はそのプロセス上の通過「点」である。その意味で「予備試験合格」と「法科大学院修了」は「質」的に異なり、ほんらい比較しようがない。理念教育には、法曹資格試験たる司法試験に合格するための教育を内容的に含むが、「司法試験合格率」のみをもって「教育力の有無」に帰されるものではないということである。どのようなものを評価の基礎に置くか、その取捨選択が「恣意的」になされるならば、かりに「数値」自体が「客観的」なものであったとしても、けっして「評価の客観性」は担保できない。
本年司法試験短答式試験合格者のうち予備試験合格者は167名/167名、合格率100%である。このなかには本法科大学院修了生も含まれている。この修了生が最終合格し、それが本法科大学院の教育力の成果であったとしたら、本法科大学院の「教育力」があることになるのだろうか?。しかし、かりにそうであっても、本法科大学院の「司法試験合格者数」に算入されず、「司法試験合格率」には反映されない。
なんとも、法科大学院は、わたくしから見て、「厳しい」状況にある。(T)