井戸先生の特別講演を拝聴して

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Date:2012.07.28

弁護士の井戸謙一先生をお招きし、「私の裁判官人生 原発訴訟のことなど」のテーマでご講演を賜った。先生のご経歴や裁判官として携わった裁判例については過去の記事をご覧いただき、また、ご講演の内容そのものについては他稿に譲ることにして、とくに印象深かったことをお伝えしたい。

先生はいくつもの著名判決に関わってこられたが、ある日のこと、普段とは違って裁判所のまわりには多くの報道機関が取り巻き、来たるべき判決のときを待っていた。先生はその事件の左陪席であり、緊張の面持ちで裁判官控え室に入られた。じきに裁判長や右陪席の方が順次控え室に入られた。裁判長は普段通りに家族の話など他愛のないお話をされ、右陪席の方がときおり相づちを打つが、先生はこれから出される判決のことを思うと上の空である。やがて開廷の時刻がやってきた。法服に着替えて控え室を出る。裁判長の後ろ姿を見て、先生は、ふと、「司法権の独立とはこういうことなのだ。」と肌で感じられた。裁判所を報道陣が取り囲もうと、行政府にとって不都合な判決がこれから出されようと、控え室は普段となんら異ならず、他愛もない雑談ができる。

裁判長は判決文を粛々と朗読され、閉廷後、次の事件のために控え室に戻る、やがて報道機関が裁判所前から中継し、夕刊の1面にでかでかと出ることになっていても、裁判所の中は普段通りである。先生は、いつかご自分が裁判長としてそのような判決を出すときがきたら、このときの裁判長のように淡々としていたいと思ったとのことである。その10数年後、先生は、志賀原発2号機運転差止め請求訴訟の裁判長として、我が国で初めて、そして現在のところ唯一、電気事業者に原子炉施設の運転差止めを命じられた。

原発問題ひいては国のエネルギー政策など、今まさに論議のまっただ中である。「一国の政策を左右しかねない重要な問題の結論が訴訟の巧拙で決まっていいのか」、裏から見れば、そのような問題を3人の裁判官に背負わせていいのか。ある意味、「脱原発」の旗の下、イデオロギー先行で結論づけるのは容易かもしれない、その逆もしかりである。しかし、先生はずいぶんと悩まれたようである。「主張と証拠だけから判断する。背中に背負いすぎない」。先生は、気負うことなく、良心に従い、政治的・社会的少数者の保護を立ち位置にしたバランス論に基づき、具体的な事件の解決として判断された。その後、先生の出された判決は、社会的に大きな反響を呼んで、国の耐震安全性への取り組みを加速させることになるが、その日の夕刊は、先生が判決文を落ち着いたご様子で朗読されていたことを報じていたという。

ご講演を拝聴するにつれ、その飄々として誠実な語り口に引き込まれていったが、先生のように、肩肘を張ることなく、また、功名心にはやることなく、このように「良心」を語ることができる人間になりたいものだと恥じ入った。(T)

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