近代印刷関係資料 2.紙型
2.明治時代の仏教・禅宗の出版活動
2-1.明治時代の仏教・禅宗と活版印刷
日本において、活版印刷が盛んになるのは、明治時代になってからであり、その背景には仏教学者で一般在家への布教を目指した大内青巒の存在がありました。
大内青巒(一八四五~一九一八)は明治・大正期における仏教学者、思想家です。福田行誠のもとで仏教を、原坦山のもとで禅を学んだとされ、後に還俗し、政治・啓蒙活動など、幅広い分野での活躍が知られています。また、大正三年には東洋大学学長に就任しました。
この大内青巒の事績の中で、印刷・出版事業はきわめて重要です。明治8年、仏教新聞である『明教新誌』の発行を開始し、また在家化導のため安価な印刷コストでの仏教書の発行を目指した出版社・鴻盟社や印刷会社・秀英舎を創始し活版印刷の普及にも寄与しました。秀英舎は後に日清印刷と合併し、現在の大日本印刷となりました。
大内青巒が行った在家化導の活動の中で、曹洞宗において最も重要なものが『曹洞教會修証義』の元となった『洞上在家修証義』の編纂です。『洞上在家修証義』は、道元禅師『正法眼蔵』から文言を抜き出し編集した経典で、一般在家の人々にも広く道元禅師の教えを伝えることを目的に編まれました。
2-2.活版印刷とは?
活版印刷では、1文字1文字が独立した活字を最小の単位とします。この活字を組み合わせて印刷の版面とします。
活版印刷では、印刷が終了した後、版を解体し、もとの活字の状態に戻します。活字は繰り返し使用可能で、安価で迅速に印刷のための版を制作することができました。また、版を解体するため、木版印刷のように版を保管するスペース・コストが不要となりました。
一方で、印刷後に版を解体するため、増刷の求めがあった際には、再度版を組み直す必要があります。ベストセラーとなった福沢諭吉『学問のすすめ』は、当初活版を使用していましたが、増刷を繰り返す中で木版印刷へと変更しています。
活版印刷の版組みの欠点を補うものが紙型です。紙型は、版を解体する前に版を紙にプレスして制作する押し型です。増刷の際には、紙型に鉛を流し込むことで、版の複製を制作することができます。
関連リンク
秀英舎の歴史:大日本印刷株式会社HP (外部リンク)
市ヶ谷工場:市ヶ谷の杜 本と活字館HP (外部リンク)
2-3.永平寺、曹洞宗宗務局関係出版物の紙型(永平寺別院長谷寺旧蔵資料)
明治時代から昭和戦前期にかけて、曹洞宗の出版物に関する紙型です。『承陽大師聖教全集』『禅学大意講演要目』『承陽大師御略傳』『承陽大師御略傳法語』『正法眼蔵随聞記』『北野元峰禅師説法集』『洞上化導容義』『株式会社平常銀行預金のすすめ』『佛子の行願』『佛戒略義』『吉祥草』があります。
2-4.中央仏教社に関する紙型
中央仏教社、金の鳥社などの出版物に関する紙型です。中央仏教社、金の鳥社の創立者・飯塚哲英が住職を務めた曹洞宗寺院陽田寺の旧蔵資料です。
紙型の制作時期は、大正時代から昭和戦前・戦中期のものが主です。中央仏教社発行の雑誌『大乗禅』第22巻2号(1945年)の社告には、中央仏教社本社が空襲を受け全焼した中で出版物の紙型は無事であったこと、当面は自坊の陽田寺を発行所にする旨が報告されています。この戦災を免れ、陽田寺で所蔵された紙型が、当館所蔵資料です。