道元禅師絵伝
道元禅師絵伝(どうげんぜんじえでん)/ 紙本着色 / 四幅対 / 縦168.3㎝×横82.6㎝
日本曹洞宗の祖・高祖道元(1200~53)の生涯の事績を4巻に描いた絵伝。
道元の伝記は、古今さまざまなものが著されたが、道元の五百五十年遠忌を契機に、挿絵入りの伝記・絵伝が作られるようになった。
瑞岡珍牛(ずいこうちんぎゅう)らの手による『訂補建撕記図会(ていほけんぜいきずえ))』や『永平道元禅師行状図会(えいへいどうげんぜんじぎょうじょうずえ)』などは、その先駆であり、宗門僧侶や檀信徒への普及効果に大きな役割を果たした。
本資料のように掛軸装の絵伝も登場し、代表的なものに黄泉無著(こうせんむちゃく)の『永平道元禅師行状図(えいへいどうげんぜんじぎょうじょうず)』や、永平寺宝蔵刊の『高祖道元禅師行跡図(こうそどうげんぜんじぎょうせきず)』などがある。
これらは対幅の掛軸装であるが、本資料は4幅対となっている。
掛軸装は、多くの人々の前で道元一代記を説くことができる利点を持つ。
本資料の巻子別の構成は以下の通り。
入宋中と晩年の永平寺の事績に紙面を多く用いている。
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- 『道元禅師絵伝』一巻目
正治二年~貞応二年(1200~23)
誕生から、入宋し天童山に上山するまでが、右下から描かれている。 - 『道元禅師絵伝』二巻目
貞応二年~安貞元年(1223~27)
天童山での事績から、師如浄(にょじょう)より印可を受け、日本に帰国するまでが、右上から描かれている。 - 『道元禅師絵伝』三巻目
貞元年~宝治二年(1227~48)
宋から日本へ帰る航海から、北条時頼の招請による鎌倉行化からの永平寺帰山までが、右下から描かれている。 - 『道元禅師絵伝』四巻目
宝治二年~建長五年(1248~53)
晩年の永平寺における事績と示寂までが、右上から描かれている。最後は永平寺の伽藍と開山堂(現承陽殿)である。
※上記で紹介している資料とは異なります
関連資料
- 『高祖道元禅師行跡図』一巻目
正治二年~安貞元年(1200~1227)
最初に道元の系譜を記し、誕生から天童山で師如浄より印可を受け、日本に帰国する前夜に白山権現の助力を得て、一夜にして碧巌集を書写するまで描かれている。 - 『高祖道元禅師行跡図』二巻目
~建長五(~1253)
招宝七郎大権修理菩薩を随えて帰国するところから、示寂まで描かれている。 - 『永平道元禅師行状之図』一巻目
正治二年~安貞元年(1200~1227)
誕生に始まり、最後の23図目は帰国の前夜、白山権現の助力を得て一晩で『碧巌集(へきがんしゅう)』を写したという、一夜碧巌の伝承まで描かれている。 - 『永平道元禅師行状之図』二巻目
安貞元年~建長5年(1227~1253)
出航時に大権修利菩薩の加護を受ける場面から、弟子に最後の説法を行った後に入寂し、荼毘に付されるまで描かれている。
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