禅文化歴史博物館The Museum of Zen Culture and History

永平寺所蔵資料で見る道元禅師の事蹟

道元禅師の生い立ち

本WEB展示における掲載内容(文章、画像等)の一部もしくは全体に関して、無断での複製・転載・引用・改変等の2次利用を固く禁じます。
本WEB展示に掲載する資料画像について、特に所蔵先の表記のないものは大本山永平寺所蔵とし、それ以外の画像については所蔵先を明記します。

道元禅師(1200~1253)は、13世紀に中国(当時は宋の時代)に渡り、日本に曹洞宗を伝え、永平寺の御開山となりました。禅師の出自は村上天皇に連なる名門貴族久我家で、父は久我内大臣通親、母は九条摂政関白基房の娘、正治2年(1200)正月2日生誕と伝えられます。
外部サイト当館所蔵「高祖道元禅師行跡図」へ

道元禅師の入宋

道元禅師は、承元元年(1207)、8歳の冬に母を亡くし、世の無常を知り、仏道への大願を抱いたとされます。建暦2年(1212)年比叡山へと上り、翌建保元年(1213)僧正公圓につき、剃髪、菩薩戒を授かりました。
建保5年(1217)建仁寺栄西の弟子明全に師事し、貞応2年(1223)明全に従い中国(当時は宋の時代)に渡ります。宝慶元年(1225)、天童山において如浄に師事し、後にその法を嗣ぐことを許されました。

2024_02_01_05
明全が中国に持参した具足戒牒 明全和尚具足戒牒
後高倉上皇院宣写
明全、道元禅師の通行許可証(写) 
後高倉上皇院宣写
六波羅過所写
六波羅探題からの通行許可証(写) 六波羅過所写
道元禅師が師如浄を訪問した記録 『宝慶記』
道元禅師が師如浄を訪問した記録 
宝慶記

日本への帰国と布教

嘉禄3年(1227)、宋から帰国した道元禅師は、如浄禅師より伝えられた「正伝の仏法」を広めることに邁進します。特に、当時の日本において坐禅は悟りを得るための修行と考えられていたことから、その誤りを正し、如浄禅師より教えられた正しい坐禅を伝えるべく、まず『普勧坐禅儀』を著した旨が『普勧坐禅儀撰述記(由来)』に記されています。
現在、永平寺に伝わる『普勧坐禅儀』は深草観音導利院興聖寶林寺(興聖寺)において禅師自ら記したもので、国宝に指定されています。興聖寺は、天福元年(1233)に道元禅師が開いた最初の禅宗寺院で曹洞宗最古の修行道場です。この地で禅師は『正法眼蔵仏性』『典座教訓』などの著作を記していきます。

永平寺の開山

寛元元年(1243)、道元禅師は俗弟子であった波多野義重の招きにより、越前(福井県)へと布教の地を移します。如浄禅師の教えに従い、山深く修行し、たとえ一人でも半人でも、正しい仏の教えを継承できる本当の弟子を育てるため、尽力します。まずは、吉峰寺という古寺に身を寄せ、寛元2年には大佛寺を建立し、寛元4年には大佛寺を永平寺と改称し、今日に続く曹洞宗教団の礎を確立していきます。

道元禅師所縁の品々

永平寺には、道元禅師所縁と伝わる品々が残されています。これらの品々は資料自体の価値と同様に、長い年月の間、道元禅師所縁の品々として大切に伝えられ、現在でも永平寺に所蔵されているということにも歴史的な価値があります。永平寺に伝わる道元禅師所縁の品々をご紹介します。

永平寺×駒澤大学禅文化歴史博物館 正法眼蔵嗣書草案本と修訂本

正法眼蔵は、道元禅師の教えをまとめた代表的な著作です。この正法眼蔵には、師から弟子への嗣法について記した嗣書の巻があり、その内容は秘伝とされ、木版印刷による正法眼蔵が発行される近世以降においても嗣書の巻の印刷は許されていませんでした。嗣書の巻の内容を知りたければ、直接永平寺を訪れ、自ら書き写すことのみ許可されました。
この正法眼蔵嗣書には、道元禅師が下書きとして書いた草案本と、修訂を加え完成させた修訂本が存在しています。草案本はかつて永平寺に収蔵されていましたが江戸時代に26に分裁され、永平寺の支援者等に分施されたことが、香積寺(広島県)所蔵の正法眼蔵嗣書草案本副本の記録に残ります。現在、永平寺には分裁された断簡のうち2点が所蔵されています。
ここでは、各地に残る13点の草案本断簡の紹介と修訂本との間でどのような文字の修訂・異動が行われたかについて解説を行います。 

『正法眼蔵嗣書』修訂本(当館蔵)
『正法眼蔵嗣書』修訂本巻頭(当館蔵)
『正法眼蔵嗣書』修訂本(当館蔵)
『正法眼蔵嗣書』修訂本(当館蔵)

外部サイト『正法眼蔵嗣書』修訂本画像

「草案本」は、江戸時代前期に26に切断され、分施されました。香積寺所蔵の『正法眼蔵嗣書』副本には切断箇所や分施先が記録されています。
 「草案本断簡分施者」

『正法眼蔵嗣書』草案本副本の分施先記録16~26(香積寺所蔵)
『正法眼蔵嗣書』草案本副本の分施先記録16~26(香積寺所蔵)
『正法眼蔵嗣書』草案本副本の分施先記録1~25(香積寺所蔵)
『正法眼蔵嗣書』草案本副本の分施先記録1~25(香積寺所蔵)

現在、草案本断簡26点のうち、所在が判明しているものは13点あります。所蔵先の多くは江戸時代の分施先とは異なっています。駒澤大学禅文化歴史博物館では、2022年度、2023年度の2箇年をかけて、クラウドファンディングを活用した13点の草案本断簡のレプリカ作製を行いました。当館では、『正法眼蔵嗣書』修訂本の原資料と所在が判明している草案本のレプリカ13点を合わせて収蔵することとなりました。

草案本レプリカ展示風景と原資料所蔵寺院
展示ケース1 永平寺切①②(福井県吉田郡永平寺町、開創 寛元2年(1244)/開山 道元禅師)、大乗寺切(石川県金沢市、開創 正応年間(1288~93)/開山 徹通義介禅師)
展示ケース2 香積寺切(広島県三原市、開創 明応3年(1494)/開山 茂庵樹繁禅師)
展示ケース3 神應寺切(京都府八幡市、開創 貞観2年(860)/開山 行教律師)、永光寺切(石川県羽咋市、開創 正和元年<1312>/開山 瑩山紹瑾禅師)、円通寺切(茨城県水戸市、開創 文明16年<1484>/開山 独放頓聚)
展示ケース4 陽松庵切(大阪府池田市、開創 正徳3年(1713)/開山 天桂伝尊禅師)、禅定寺切(京都府綴喜郡宇治田原町、開創 正暦2年(991)/開山 平崇上人)
展示ケース5 青龍寺切(滋賀県大津市、開創 天文7年(1538)/開山 竺山得仙禅師)、瑞雲院切(山形県新庄市、開創 永享2年(1430)/開山 九皐宥鶴禅師)
展示ケース6 興聖寺切①②(京都府宇治市、開創 天福元年(1233)/開山 道元禅師)

展示ケース1
展示ケース1
展示ケース2
展示ケース2
展示ケース3
展示ケース3
展示ケース4
展示ケース4
展示ケース5
展示ケース5
展示ケース6
展示ケース6

調査・研究 草案本と修訂本のテキストの異動について

道元禅師は『正法眼蔵嗣書』の文章の修正を長期間にわたり行ったと考えられています。そのため、草案本と修訂本の間でも、テキストの異動がみられます。ここでは13点の草案本と修訂本のテキストの比較に関する調査・研究の成果をご紹介します。
「草案本嗣書断簡」と修訂本との対照

道元禅師と永平寺TOPページへ戻る

永平寺の伽藍と建造物

禅文化歴史博物館