プレヴェール詩集(プレヴェール著 ; 小笠原 豊樹訳)
Date:2018.03.01
書名 「プレヴェール詩集」
著者 ジャック・プレヴェール
訳者 小笠原 豊樹
出版者 岩波書店
出版年 2017年8月
請求番号 080/6-2887
Kompass 書誌情報
フランスでもっとも愛される詩人のひとりであるジャック・プレヴェール(1900-1977)は、人間が生きることのよろこびや苦しみ、怒りやためらいを平明な言葉のうちに捉え、数多くの傑作を世に送りだしました。
生涯を通じて「友情と自由と反抗」(小笠原豊樹)を貫いたプレヴェールは、「わたし」が「わたし」であることの強さを語り、「夜のパリ」に香り立つ男女の愛を唄い、「ふしあわせの黒板」に「しあわせの貌」を描く「劣等生」の反逆を讃えます。また、戦争や貧困を知るこの詩人は、「大きな血溜まり」に覆われた「世界」をまっすぐに見据えて、過酷な現実を生きる者たちとともにある言葉を紡ぎ続けました。
わたしが初めて彼の詩に触れたのは大学2年生のときです。別れを題材にした「朝の食事」という一編に、心を動かされました。日常的なモチーフの淡々とした連なりは、感情の揺らぎとは無縁に映るかも知れません。しかし詩人は、言葉のひとつひとつに底知れぬ哀しみを染み渡らせながら、どこまでも抑制された筆致でこの詩を編み上げているのです。小笠原豊樹の訳で紹介しましょう。
「朝の食事」
茶碗に
コーヒーをついだ
茶碗のコーヒーに
ミルクをいれた
ミルク・コーヒーに
砂糖をいれた
小さなスプンで
かきまわした
ミルク・コーヒーを飲んだ
それから茶碗をおいた
私にはなんにも言わなかった
タバコに
火をつけた
けむりで
環をつくった
灰皿に
灰をおとした
私にはなんにも言わなかった
私の方を見なかった
立ちあがった
帽子をあたまに
かぶった
雨ふりだったから
レインコートを
身につけた
それから雨のなかを
出かけていった
なんにも言わなかった
私の方を見なかった
それから私は
私はあたまをかかえた
それから泣いた。
激しい諍いの果てに、あるいは幾つものすれ違いの末に訪れた、最後の朝なのでしょうか。冷たく降りしきる雨は、新たな始まりを告げる陽の光をかき消しているかのようです。静まりかえった食卓には、器に触れる金属の不規則な音色や、乾いたマッチの摩擦音だけが、不自然なほど剥きだしになって響くでしょう。いつもなら心地よい停滞をもたらすはずのコーヒーと煙草も、その苦味ばかりが二人の胸に迫ります。そして、立ち去るその人が後ろ手に閉める扉の音で、すべては終わりを告げるのです。
詩人・谷川俊太郎が語るように、この詩の魅力のひとつは、「その時々に自由な想像を読むものに許す」ところにあります。「男に捨てられた女の詩」にも、「兄貴に𠮟られた弟の詩」にも、あるいは「仲間を裏切った労働者の詩」にも読むことができるのです。
では、あなたの心には、どんな光景が思い描かれるでしょうか。
文庫化されて身近になったプレヴェールの詩集を、どうか手に取ってみてください。そして、ゆっくりと、こころゆくまで、詩人の世界を味わってみてください。あなたにとって大切な一編となる作品が、きっとそこにあるはずです。
総合教育研究部 准教授 小黒 昌文