平成25年度入学式 学長式辞
新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。私たち教職員と在校生一同は、新入生の皆さんを本学の新たな一員としてお迎えできた喜びをかみしめているところです。
駒澤大学は、我が国はもとより世界的に見ても、最も長い歴史と豊かな伝統を持つ大学のひとつです。近代的なかたちの大学になったのは明治15年(1882年)で、昨年130周年を迎えました。そのときの校地は、当時の地名では麻布北日ヶ窪、現在の六本木ヒルズあたりにありました。そして、そこからこの駒沢の地に移転してきて今年でちょうど100年になります。「駒澤大学」という名前になったのは、移転の13年後です。
さらに、前身の「学林」まで遡れば何と421年の歴史があります。「学林」は、曹洞宗の教育研究機関で、のちに旃檀林という名で親しまれるようになりますが、文禄元年(1592年)、江戸城近くの神田駿河台にあった吉祥寺というお寺の境内に建てられたことに始まります。それは江戸時代の初め、徳川家康が江戸城に入って3年目のことでした。
少し細かくなりますが、本学の前身である旃檀林があった吉祥寺について、お話ししておきましょう。そもそも吉祥寺は、いまから550年ほど前の長禄年間に、江戸城の築城で知られる太田道灌が城近くに建立した由緒あるお寺です。
千葉県の佐倉の歴史民俗博物館にある『江戸図屏風』は、学林が出来た頃の初期の江戸の景観を描いた数少ない貴重な史料として知られていますから、皆さんの中にもご覧になった方がきっといらっしゃると思いますが、その中で吉祥寺は江戸城の堀の向こう側に描かれています。堀の上には、人が渡る普通の橋のほかに、神田上水の水を江戸城に通す橋、つまり文字通りの水道橋(現在の水道橋)が掛かり、その袂(たもと)に吉祥寺がみえます。
その後、明暦3年(1667年)に江戸の町を焼き尽くす大火災がありました。世に言う「振袖火事」です。炎は江戸城の天守閣にまでおよんだ、とされています。そのため、今後はそうした大火災の際の類焼を避けようと、江戸城周辺の寺院は移転することになり、吉祥寺も旃檀林とともに、現在の文京区の駒込に移転し、お寺の方はそのまま今日に至っています。なお、いまでも駒込の吉祥寺の山門には「旃檀林」という大きな額が掛っておりますが、駒込まで足を運ばなくても、そのレプリカが本学の禅文化歴史博物館に展示されておりますので、いつでもご覧になることができます。
他方、神田駿河台の吉祥寺の門前の住民は、五日市街道沿いの荒野を開拓し、その地を、もと住んでいた土地のお寺の名前にちなんで「吉祥寺」と呼んだといいます。これが、いまの武蔵野市の吉祥寺です。門前の住民がここを移住の地に選んだのは、吉祥寺というお寺の領地であったからとも言われております。
なお、蛇足ですが、この大火災以降は、江戸城に天守閣は再建されませんでした。現在、天守閣跡は皇居の中にありますが、石垣が残るのみであります。TVで時代劇を見ていると、この大火災以降の時代設定なのに、江戸城に天守閣がそびえている場面が出てくることがあります。要注意ですね。
駒澤大学の前史、江戸時代に「学林」「旃檀林」と呼ばれた時代の歴史を理解するためのキーワードは、太田道灌・徳川家康・駒込・吉祥寺と覚えてください。江戸時代を通じて、旃檀林には、全国から学問僧が集まり、幕府の昌平坂学問所とその学力を競ったといわれます。
そして時代が江戸から明治に移り、明治6年(1875年)に、江戸時代の寺院の学寮の伝統を引き継ぎながら旃檀林とは別に曹洞宗専門(学)本校が愛宕下の青松寺に設立されます。しかしこの学校は、翌年、狭隘のために、いったんは駒込吉祥寺の旃檀林内に移転しますが、明治15年(1882年)に旃檀林から独立し、現在の六本木ヒルズあたりの地で、新たに近代的大学として出発いたします。先に述べましたように、これが本学の直接の始まりです。
さて、正面の釈迦如来を挟んで右が福井県の永平寺を開いた道元禅師、左が能登石川県の総持寺を開いた瑩山禅師、このお二人の後、曹洞宗の禅僧たちは坐禅修行を続け、道場から道場へ、旅から旅への修行行脚の経験を生かして、日本各地で地域の知識人・専門家として活動しました。ふつう僧侶が関わると思われている祈祷・授戒・葬祭にとどまらず、彼らは温泉場の再開発や小地域の開発、さらには薬による病気の治療など人びとの生活全般で活躍いたしました。彼らの活動は、とくに戦国時代という乱世の中で発展して行き、在地の武士や長者すなわち商人的武士ばかりでなく、農民や鍛冶屋・紺屋・漁師・舞士などの職人、すなわち民衆にも受容されていったのです。また、駆け込み寺の住職として、罪人や弱い人々の命を守る活動もいたしました。
駒澤大学は、このような禅僧の活動と「学林」の伝統を受け継いでおります。ただし建学の理念の由来ということから、駒澤大学の伝統を厳密にたどれば、それは13世紀の曹洞宗の開祖・道元禅師(1200~1253)に連なり、究極的には紀元前5~4世紀の釈迦へと至ります。
大切なのは、この伝統の受け継がれ方です。仏教の教えと禅の精神は、師から弟子へと、教育・研究の絶えざる地道な努力をとおして受け継がれてきました。この教育・研究の努力の伝統こそが、その後、本学における多種多様な学問研究の開花を促し、本学を総合大学へと発展させてきました。
このような伝統と歴史の中で、駒澤大学は、仏教の教えと禅の精神を建学の理念、つまり教育・研究の基本としてきました。この建学の理念は、永きにわたり「行学一如」という言葉で表されてきました。この言葉は、曹洞宗の開祖・道元禅師が示された、最も根本的な教えである「修証一等」(しゅしょういっとう)という言葉を大学の教育・研究の基礎としてあらためて表現し直したものです。「修」(坐禅修行)と「証」(悟り)は一体であり、悟りは彼方にあるのではなく、坐禅修行そのものが悟りであるとされ、「行」の面を重んじたのです。
大学では「行」とは自己陶冶(とうや)、すなわち自分をより優れた人間として育て上げる自己形成のこと、「学」とは学問研究のことです。そして「行学一如」とは、「自分をより優れた人間に成長させることと、学問研究に励むことは一つのことである」という意味です。
皆さんは、これから大学で本格的な学問研究を始めます。しかし、授業や書物を鵜呑みにするだけでは、本当に学問をしたことにはなりません。皆さんは、授業や書物をとおして出会う学問研究を、必ず自分で実地に検証し確かめ咀嚼し応用して行かねばなりません。その際には我が大学が誇る図書館の120万冊の蔵書が、きっと皆さんの役に立つはずです。
「行学一如」は、特に「行」の重要性を教えます。常にアクティブな姿勢で学問研究に取り組む「行」によって、学問研究は本物の「学」として、自分の血となり肉となるのです。
高みに登り詰めた姿だけが尊いのではなく、果て無き高みを求めながら、立ちすくむことなく、目の前の一歩を大事に踏みしめて行く姿こそが美しいのです。その時その時こそが今の自分の完成体なのです。未熟の自分がいつか完成された自分となるのではありません。努力する「行」の姿、今ここの若々しい姿そのものが尊いのです。なお、この場合の「若々しさ」は年齢の「若さ」ではなく「気持ちの若さ」「精神の若さ」を意味することは言うまでもありません。したがって、本日ご列席の皆さんをはじめ、一生懸命、式辞を申し述べる私も若いということになりますがいかがでしょうか。
皆さん、いま社会は大きく揺れ動いています。既成の価値・規範が動揺し、過去の権威が地に落ちることも頻繁です。やがて皆さんは社会に向かって羽ばたきますが、そのとき社会が皆さんに求めるのは、大学で何を学んだか、何を自分の血とし肉としたか、です。じっくりとエネルギッシュに、「行学一如」に従い、各自ご自分の専門研究に打ち込み、卒業のとき、4年間で我が物にした勉学の成果を社会に向かって、胸を張り堂々と示していただきたいと思います。
「行学一如」は、仏教の教えと禅の精神が息づく高い倫理観に支えられています。この倫理観は、少しも難しいものではなく、思いやりや気配りの心を大切にしようという人間として当たり前のことを求めているにすぎません。ただし、当たり前のことであっても、ついつい忘れてしまうことでもあります。仏教は、あらゆるものを大切に扱おうという慈悲の心を教えます。「行学一如」に従えば、この慈悲の心も、人から教わったまま頭の中にあるだけで行動を伴わなければ何ものでもありません。大学生活の全般にわたって、学ぶ姿勢とともに行動力を持っていただきたいと思います。この学ぶ姿勢と不可分の行動力の重視、つまり「学」と不可分の「行」の重視こそ、駒澤大学の特色であります。
新入生の皆様が、本学での学生生活を謳歌されますことをお祈りいたしまして、式辞といたします。
おめでとうございました。
平成25年4月2日
駒澤大学長 廣瀬 良弘