令和5年度 学位記授与式(卒業式)総長祝辞

Date:2024.04.04

20230404president永井 政之 総長

学校法人駒澤大学の総長を拝命しております永井です。教職員を代表して、皆さんのご卒業に当たってのお祝いの言葉を述べる前に、まず今年元日に勃発した能登半島を中心とする地震に被災され、未だもって復興の目途の立たない被災地の皆さま、またこの場にご臨席されているかも知れない、関係される皆さまに、衷心よりお見舞いを申し上げます。また国の内外を問わず、不慮の天災人災に苦しむ人々のあまりの多さに愕然としているのは私ばかりではないとも思っています。それらの人々が、一日でも早く身心ともなる安寧の生活を取り戻されることを、お祈り申し上げます。

さて令和初年以来、世界中に蔓延した新型コロナウイルスも、些かの落ち着きを見せるようになり、それに伴って停滞していたさまざまな社会の状況も少しずつよい方向に向かっているのではないかと思われる中でのご卒業です。

あらためて大学院を修了、あるいは学部を卒業される皆様に、そして別室で本卒業式を見守っておられる御父母をはじめとする皆さまに、合わせて心からのお祝いを申し上げます。

卒業される多くの皆さんは、すでに四月からの新生活の見通しも立っているものと推察いたします。皆さんが、自ら選ばれたそれぞれの新しい世界において、今まで培われた叡智を存分に発揮されることを祈ります。

顧みればコロナ禍の真っ只中で本学に入学された皆さんは、大学生活の大半をその影響下で過ごされました。オンラインによる授業、「ハイブリット」の授業、対面の授業、さらにゼミナール、クラブ活動、友人との語らいなど、さまざまな経験の結実としての今日の卒業式です。皆さんが、遠い将来、青春そのものを過ごした本学での生活を どのように総括されるか。そしてそのような、振り返りの時に至るまでの長い人生を、どう作り上げていくのか。さらにその結果、日本や世界がどう構築されているのか、今、私は強い関心を持っています。

マスコミや先輩諸氏の情報を通して、私たちは「平成、令和」という時代と、戦後の復興とも相まって「右肩上がり」を、誰もが実感しえたとされる「昭和」という時代とが、どこか異なっているのを肌で感じてはいないでしょうか。たとえばチャットGPTの出現に象徴されるように、まれに見るほどの科学技術の発展の結果、私たちの生活は将来ますます便利になっていくことは疑いないように思います。にもかかわらず私たちは、政治、経済、社会をはじめとするさまざまな分野で、どこか地に足のついていない、幸福を無条件に享受しきれていない、「閉塞感」あるいは「不安感」を抱いてはいないでしょうか。

それは科学技術を生み出し使い、さらに工夫発展させてきた私たち人間が、ある時期からその科学技術に使われるようになりつつある、主客転倒とも言うべき時代を迎えつつあることに気づいたからだと思います。杞憂に終われば良いと願いつつ、毎日を過ごしているのは、私だけではないように思います。識者からは、来たるべき時代を「創造社会」と位置づけ、明るい未来をめざして、変化してやまない現実を、むしろチャンスに切り替えることができるようにと、さまざまな提言がなされています。

しかし抱える問題の大きさに鑑みるとき、提言の実現には相当の時間と努力が必要と思われます。

ここで言えることは、未来がどのような時代になるにしても、それを構築する主体は、あくまでも「人間」だと言うことです。毎日、毎日の私たちの営みが、「夢」の実現をもたらし、未来の社会を作り上げていることを忘れてはいけません。

すでにご承知のように駒澤大学は「行学一如」をもって建学の理念としています。それはブッダの説かれた「縁起」の教えに基づき、あらゆる存在に対して慈しみの心を持って生きていくことを意味しています。現代という時代だからこそ、ともすれば忘れてしまいがちな、「自分自身(自己)と他人自身(他己)を同価値・平等であると見る姿勢を失わない」生き方、「あらゆる存在にその尊厳を認める」という生き方を、「今まで以上に忘れない」ということがまず基本に置かれるべきと、私は強く思っています。そしてそれはまた、外からやってくる誘惑や出来事に、「振り回されることなく」、常に「自覚的に生きて行く」と言うことでもあります。

また「仏教と人間」の授業で学ばれたように、道元禅師は修行の基本的な考え方として、「行持」という世界を説かれます。ふつう「ぎょうじ」は「行う事」と書きますが、道元禅師の「行持」は「持つ」を「たもつ」と読んで「行持」とされます。それは坐禅を意味することはもとよりですが、毎日を恙なく過ごすための、弛むことのない自覚的な生き方こそが、仏の教えの実践に他ならず、それこそが禅宗で言う「修行」の本質だの意味です。日頃の生き方に仏法を見いだすことの大事さは、瑩山禅師の悟りの機縁となったとされる「平常心是道」の言葉によっても知りうる所です。
新型ウイルス禍の四年間を通して、私たちは、当たり前のように享受してきた「健康」が決して当たり前の世界ではないことに気づきました。また近年、その傾向を強くしてきた大国主義、一国主義も、「平和が当たり前」と考えてきた私たちに、大きな衝撃を与えているように思っています。

皆さんのこれからの長い人生、予想できないこと、思い通りにならないことが、今まで以上に頻出することは疑いありません。そのような場合どう工夫し対処するか。そんなとき本学で学ばれた「振り回されない」という教えや「修行」の意味、何より「人間」として生きるとはどういうことかを、是非、思い出し、熟考して頂きたく思います。

そのことを切に念じて、皆さんの卒業に当たっての、私のお祝いの言葉といたします。

令和6年3月吉日
学校法人駒澤大学
総長 永井 政之