令和4年度 9月学位記授与式(卒業式)総長祝辞
令和4年度9月の法科大学院修了式、および各学部の卒業式に当たり、学校法人駒澤大学の教職員を代表し、修了生の皆さん、卒業生の皆さん、そして関係される保護者の皆さまに、お祝いの言葉を述べさせていただきます。
3年以上の歳月が経とうとしていますが、さらなる新型コロナウイルスの出現もあり、コロナ禍自体の収束はまだまだ先のように思えます。
本学でもコロナ禍発生以来、さまざまな行事が中止、あるいは縮小化され、さらに通常の授業においても、いわゆるハイブリッド化などなど、あらゆる場面で、試行錯誤を伴いつつの対応を余儀なくされ、今日を迎えるに至りました。
この度卒業される皆さんに即して見ても、貴重な4年余の学生生活の過半の時間を、未曾有の事態の中で送られました。大学生として必要な「学びと研究」、さらに「人間関係構築」の場を十分に提供できなかったこと、大学を代表して衷心よりお詫び申し上げます。と同時に、皆さんがさまざまな工夫と努力の結果、ここに無事に卒業の日を迎えられたこと、心からお祝い申し上げます。
いったいコロナウイルスの蔓延による影響力がどのような形で今後残り続け、私たちの価値観や生活を変えていくのか。「ニューノーマル」・「新常態」がどのように進み、その結果がどのようなものになるのか、未だ「想定の外」にあるような気がしています。
今日、晴れて駒澤大学を卒業される皆さんが、青春を過ごした本学での学生生活を、遠い将来、どのように総括されるのか。その時が来るまで、時々刻々、変化する「いま」の時間をどう過ごし、日本を、そして世界をどう作り上げていくのか。予断を許さない状況は、まだまだ続くと思われます。
近年、国連が主導し、声高に叫ばれたSDGsの運動も、新型コロナウイルス蔓延のさなか、ロシアによるウクライナ侵攻、エネルギー危機、景気の停滞などなど、「未来がバラ色」とはとても思えない現実の中で、ともすればかき消されてしまいそうな気すらします。
ここで私は、中国以来の格言、「人間万事塞翁が馬」、あるいは「災い転じて福となす」「艱難、汝を玉にす」という言葉を思い出します。たとえばコロナ禍は、大学においては、オンライン授業の導入に代表されるように、それまでの「対面中心の教育」はもちろんながら、所謂「デジタル化による教育」もまた併用せざるを得ない現実を踏まえ、教育研究の質を担保するため、さまざまに工夫することを求めてきました。
その結果、パソコンやスマホが、今まで以上に大きな役割を果たすようになったこと、すでに私たちは体験済みです。このような現実がさらに加速するであろう事は、想像に難くありません。
ここで確認すべきことは、デジタル化が進んだ未来がどのような時代になるにしても、それを構築する主体は、あくまでも「人間である」ということ。そして毎日、毎日の私たちの営みが、未来の社会を作り上げるということではないでしょうか。
1年次の必修科目「仏教と人間」をはじめとして、さまざまな機会を通して理解されているように、駒澤大学は「仏教の教義と曹洞宗立宗の精神」を建学の理念とし、具体的には「行学一如」「信誠敬愛」を掲げています。それはどのような人生を歩むにしても、ブッダの説かれた縁起の教えに基づき、あらゆる存在に対して、慈しみの心を持って生きていく事を学び、そのような生き方を人生の基本に置くべきとの信念によります。
すでにお気づきのように、SDGsで掲げられる17の目標の多くは、いまから2500年以前、インドにおいてブッダが創唱された「仏教」において、既に主張されていることでもあります。現代という時代だからこそ、ともすれば忘れてしまいがちな、「自分自身(自己)と他人自身(他己)を同価値・平等であると見る姿勢を失わない」生き方、「あらゆる存在にその尊厳を認める」という生き方を、「今まで以上に忘れない」ということが、まず基本に置かれるべきだと、私は強く思っています。
もうすこし仏教的に、分かりやすく言うなら「外からの誘惑・煩悩に振り回されるな」、「自分勝手に生きるな」ということになりましょう。それは、自己と他己を平等に見ることを忘れることなく、「自分を信じ、自信を持って生きる」、あるいは「自覚して生きる」という意味でもあります。
「修行」という言葉があります。一般のイメージでは、日常とは異なった特別な営みを指しているように理解されるかもしれませんが、私は「禅」で言う、修行とは、断食とか不眠不休とか、肉体を苛め抜くなど、何か特別のことを行うのではなく、毎日をつつがなく過ごすための、弛まない努力を重ねていくことこそが「修行」の本質であり、他人の人生ではない、自分の人生を、丁寧に自分が生きること、それが「修行」だと受け止めています。禅が、私たちの日常こそが仏の世界に他ならないと教える由縁は、ここにあります。
皆さんのこれからの長い人生、新型コロナウイルスの蔓延以上に、予想できないこと、思い通りにならず、悩み苦しむ事態が頻出することは、疑いありません。そのような場合、どう工夫し対処するか。そんなとき「振り回されない」という教えを、また「毎日が修行である」という意味を、是非、思い起こして頂きたく思います。
そのことを切に念じて、皆さんの修了、卒業に当たっての、私のはなむけの言葉といたします。
令和4年9月17日
学校法人駒澤大学
総長 永井 政之