平成27年度入学式 学長式辞
新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。ようこそ、駒澤大学へ。私たち教職員と在校生一同は、新入生の皆さんをお迎えできた喜びをかみしめているところです。また、このよき日を迎えられましたご列席の保護者の皆様方にも心よりお祝い申し上げます。
さらに、社会人入学の皆さん、皆さんの探求心、チャレンジ精神に敬意を表したいと思います。皆さんの旺盛な学習意欲に満ちた姿は多くの人々に活力を与え、後に続く方々に、大きな勇気を与えることでしょう。
また、大学院・法科大学院入学の皆さんには、専門的な学問研鑽に一層精進されますことを祈念いたします。
教職員一同、全力を挙げてバックアップしたいと思います。
さて、新入生の皆さん、皆さんの将来は、この4年間にかかっているといっても過言ではないでしょう。この4年間は、広い意味での勉学に全てを打ち込める至福の時であります。この4年間に何を学んだか、どのような能力とスキルを身に付けたかが、社会に出たときに問われます。
本学は、ワンキャンパスの中に全ての学部が存在し、専門分野、教養分野ともに、その道のスペシャリスト、教授陣が揃っています。皆さんが選ばれた専門学部の勉学はもちろんのこと、多種多様な分野の知識に触れることができるのです。
さて、現在、クールジャパンとして禅や日本文化、和食などが、世界の注目を集めていますが、本学はまさしく、その禅の大学であります。
そこで、禅僧のエピソードを皆さんに紹介してみたいと思います。まず、越前国(福井県)に永平寺を開いた道元禅師のエピソードです。須弥壇に向かって右側のお方です。道元禅師は1223(貞応2)年24歳で宋に渡海しました。そこで、2人の典座(てんぞ)に会っています。典座とは、禅寺の料理長のことです。
道元禅師は慶元府(寧波)の港に着きましたが、なかなか上陸できませんでした。そこへ、禅師のいる日本船に、近くの禅宗寺院から一人の典座が椎茸を買いに来ました。道元禅師は食事作りのために帰らなくてはと言う典座を引き留めておきたくて、「あなたは老人だから食事係などせずに、禅の書を読んだり、坐禅をされたらどうですか」と言うと、「君は修業がなんであるかを理解していない」と大笑されてしまいました。
また、上陸後、天童山という寺に入り、修行していた夏のある日、この寺の典座が、焼けた敷き瓦の上で、汗をもかまわず、茸をさらしていました。いかにも苦しそうです。年齢を問えば、68歳だといいます。道元禅師が見かねて、「なぜ、若い人にやらせないのですか」また、「この炎天下でなくてもよいのではないですか」というと、「他はこれ吾にあらず、更に何れの時をか待たん」(他人は他人である、自分がやらなくて誰がやるというのか、また、いつまで待っていれば良いというのかね)と、つまり、老いも若きもない、これは自分の仕事だからやっているのである。それに、暑いから干しているのである。今やらないでいつやるというのかね、というわけです。私たちは常に今にしか生きていないということを教えられたのです。道元禅師はほかでも「而今(にこん)」、「今」ということを問題にされています。
道元禅師は、宋の国に入って間もない頃の、この2人の典座、すなわち禅寺の料理長から受けた新鮮な感激を、後に『典座教訓(てんぞきょうくん)』、つまり「料理長の心得」という本に著しています。この今の地道な修行こそが大事、他人に任せることなく、自分の仕事は責任を持って行うという「行」を重んじ、日常の生活を重んじたのです。道元禅師の姿にこそ、私たちを打つものがあります。この禅師の姿を、皆さんにお伝えいたします。
そして、道元禅師は当時の日本の寺では、さほど重要な地位にはなかった、食事係を重要視し、最高に近い地位にまで引き上げ、食事を作ること自体が立派な修行であるとされ、さらに、食材を無駄にせず、喜んで作れ、大きな広い心(平等心)で作れ、老心(親心・真心)をもっておいしく作れ、とされています。今日のシェフの心得にも通ずるものがあります。
そして、この道元禅師の料理に対する心こそが、「和食」の第一の画期であるいわれております。因みに第二は室町期の大名の饗応料理、第三は千利休の懐石料理です。「和食」の第一の画期、原点が道元禅師にあるのです。
次に、この道元禅師から4代目が能登の總持寺を開かれた瑩山禅師です。向かって左のお方です。この方の弟子で總持寺の2代目が峨山禅師です。今年は禅師が亡くなられて650年となり、曹洞宗を挙げて法要が行われます。この峨山禅師は瑩山禅師が開かれた能登門前の總持寺と羽咋の永光寺(ようこうじ)の住職を兼任されていたことがあります。その折は永光寺の朝の勤行が終わってから總持寺の勤行に駆け付けたといわれています。両寺を結ぶ尾根道は今も「峨山道(がさんどう、がさんみち)」として残されております。両寺の間は13里、52キロあります。總持寺では今もはじめは非常にゆっくり読み、途中から早いスピードで読むお経があります。毎朝続けられてきました。つまり、峨山禅師が到着されるまではゆっくり読み、到着されたとみるや読経のスピードが上がるということになっているのです。事実はともかく両寺間をよく往復されたというエピソードであるといえましょう。52キロはマラソンより10キロ多い距離です。峨山様のエネルギッシュな行動力を皆さんにお伝えしておきたいと思います。
この峨山禅師には5人あるいは25人もの優れた弟子がいます。彼らは、村はずれのお堂やお宮に住むような活動により全国展開していきます。旅から旅の修行行脚の中で得た知識をもとに、地域開発や温泉の再開発、生前に戒名を授ける授戒会、葬祭活動などにより、武士ばかりでなく農民・職人などの民衆にまで受容されていき、この全国展開の中で、南武蔵・相模(埼玉・東京・神奈川)に力を持った太田道灌にも受容されることになるのです。
さて、ここで、駒澤大学が如何に歴史と伝統と興味深いエピソードに満ち溢れた、魅力的な大学かをお示ししたいと思います。駒澤大学は、我が国はもとより世界的に見ても、最も長い歴史と豊かな伝統を持つ大学のひとつです。本学は、江戸城を造り江戸東京の祖として知られる太田道灌が城の近くに駒澤大学の前身の前身である吉祥寺を造り、540年。その120年後、秀吉家康の時代です。徳川家康が江戸城に入って間もない頃、その吉祥寺の中に本学の前身の学林ができて420年、江戸の大半と江戸城天守閣を焼き尽くした振袖火事により吉祥寺と学林は駒込へ、門前の住民は五日市街道を開拓し、吉祥寺村と名付けました。今の吉祥寺の街です。340年前のことです。
そして、1882(明治15)年、麻布北日ケ窪、今の六本木ヒルズ・テレビ朝日のところに近代的な大学として出発して133年、そこから、駒沢の地に移転してきて102年です。本学は3年前に開校130周年記念式典を行い、一昨年、移転100周年記念式典を挙行しております。
駒澤大学で一番古い建物は禅文化歴史博物館で、1928(昭和3)年の建設です。東京都歴史的建造物となっております。設計者は菅原栄蔵という人物ですが、この人物が設計したものにレンガ造りのビヤホール銀座ライオンがあります。さらに、禅や茶の湯と関係深い建物に数寄屋造りがありますが、深沢キャンパスの洋館はその数寄屋造りの要素を取り入れた設計で知られる吉田五十八の設計であります。水平のラインに特色があります。テレビドラマや映画で首相官邸などとして使用されるなど、ロケ地としても知られている建物です。
また、禅の大学らしさを一層深めるために、図書館前や記念碑の前に枯山水の石庭を造り、金閣寺垣や建仁寺垣の竹垣を施してみました。また、正面のプランターにはけなげにパンジーの花が咲いて、皆さんの入学を祝福しています。お楽しみください。
このように伝統と歴史とロマンあふれる駒澤大学です。皆さんも大学構内やその周辺で、何かを探してみましょう。
さて、皆さんに本学の建学の理念についてお示しいたしましょう。永平寺を開いた道元禅師が示された最も重要な言葉に「修証一等」があります。すなわち、坐禅修行(修)と悟り(証)は一体である、悟りは遠い彼方にあるのでなく、坐禅する姿の中に具現するというのです。「行」を徹底して重要視し、悟り(証)と全く同等としたのです。
本学は、この道元禅師の「修証一等」に基づく「行学一如」という言葉を建学の理念としています。行と学は一体であるとします。行とは自己陶冶のこと、学とは学問研究のことです。学問研究はアクティブな学、すなわち、行によって本当の学となり、自分の血となり肉となるのです。本学は「行学一如」を建学の理念とし、禅の精神に基づいた教育により、皆さんに生きる力、すなわち人間力・駒澤力を身に付けていただきます。立派な駒澤人となってください。それでは、皆さんが駒澤大学のキャンパスライフを謳歌されますことを祈念いたします。
平成27年4月8日
駒澤大学長 廣瀬 良弘