平成27年度 学位記授与式(卒業式) 学長式辞
駒澤大学の卒業生、修了生の皆さん、おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
学部卒業の皆さん、この4年間で、思うような勉学、資格の取得、ゼミ学習、サークル活動ができたでしょうか。きっと、多くの方は良き師、良き友に出会えたことでしょう。この4年間は、皆さんにとって、至福の時となったことと存じます。
ご臨席の保護者の皆さまにおかれましては、厳しい社会情勢の中で今日を迎えられましたこと、喜びもひとしおと拝察し、心よりお祝い申し上げます。私たち教職員といたしましても喜びとするところです。
また、大学院の皆さん、とくに博士号の学位を取得された皆さん、長年の研究の成果を見事に結集され大論文を完成されて、本日の良き日を迎えられましたこと、これまでの精進に対して敬意を表します。修士論文を完成された皆さんにも、学位取得に対し、心よりお祝い申し上げます。これから司法試験や臨床心理士資格試験等を受験される方には、是非頑張っていただきたいと存じます。朗報をお待ちしています。
卒業生の皆さんの在学時代には、スカイツリーの完成、東京オリンピックの誘致、北陸新幹線の開業、北海道新幹線も数日後に開業の予定で、多くの慶事がありました。また、多くの人々の失明や命を救った熱帯感染症の特効薬を開発した大村智博士をはじめとする6人もの方々がすばらしい研究を成し遂げ、ノーベル賞を受賞されました。
さて、このような慶事もありましたが、皆さんを迎える社会は、グローバル化に伴い、伝統社会は揺らぎ、変化し、経済・環境・雇用情勢が厳しさを増し、民族間紛争が起こり、それと表裏の関係で宗教的対立が頻発し、多くの国で社会不安が拡大し、難民も増え続けております。我が国でも少子高齢化に伴う社会活力の低下や経済・社会・地域の格差が叫ばれています。
さらに、学部卒業の皆さんでいえば、駒澤大学に入学する1年前の2011年3月11日、東日本大震災、大津波と原発事故が起こりました。それから、ちょうど5年が経ちました。皆さんの大学生活の期間は、国を挙げて復旧復興事業に尽力してきた日々でもありました。しかし、その傷跡は未だ癒えておらず、当該事業も遅れがちであります。また、その後も激甚災害は次々と起こり、不安は尽きません。
しかし、これから卒業されていく皆さんは、このような厳しい状況の中でも、立派に社会に貢献していけるだけの力を持っていると私は確信しています。それは皆さんが、禅の大学である駒澤大学で、長い伝統と歴史、すなわち大学文化を引き継ぎ、建学の理念に基づいた教育を受け、生活力・人間力を身に付けているからです。東日本大震災においても、卒業後、自らの生活基盤をしっかりと固めつつ、何らかの形でこの大事業の支援に参加してほしいと思います。
ここで、皆さんが学んだ駒澤大学がいかに伝統や歴史と様々なエピソードに富んで誇れる大学であるかを、門出に際しお示ししたいと思います。
本学は我が国はもとより世界的に見ても長い歴史と伝統を持つ数少ない大学の一つです。本学の前身の前身である吉祥寺は、今からおよそ555年前に、江戸東京の祖とされ、武人としても歌人としても知られ、埼玉県の越生、岩槻、江戸などの関東に力を持った太田道灌によって、江戸城とともに建てられました。そしてその130年後の1592(文禄元)年、徳川家康が江戸城に入って3年目、堀の外に出た吉祥寺の中に学寮「旃檀林」ができました。これが本学の前身です。約420年前のことです。千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館が所蔵する『江戸屏風図』には、吉祥寺が水道橋のたもとに描かれており、堀の向こうに江戸城の天守閣が描かれています。
しかし、江戸時代の前半の1657(明暦3)年、江戸城天守閣まで焼き尽くした振袖火事によって吉祥寺や学寮は駒込、本郷近くに移転し、門前の住民は五日市街道沿いの地を開拓し、もと居た地名を取って「吉祥寺」と称したといいます。現在の吉祥寺の街です。
本学は、明治期を迎えて、1882(明治15)年、麻布北日ヶ窪の地に、近代的な大学として開校いたしました。現在のテレビ朝日・六本木ヒルズ付近です。本学は4年前に開校130周年を迎え、現在開校130周年記念棟を建設中であります。その開校から、30年後の1913(大正2)年に駒沢の地に移転し、3年前に移転100周年を迎えました。当時は近くに日本人が初めて造成したゴルフ場があるのみでした。
本学で最も古い建物は、1928 (昭和3) 年に建てられた、禅文化歴史博物館です。東京都選定歴史的建造物に選定されています。菅原栄蔵という人物の設計で、銀座ライオンも菅原氏の設計として知られています。また、深沢キャンパスの洋館は禅・茶の湯と関係の深い数寄屋造り風の設計で知られる吉田五十八の設計で、TVドラマや映画でロケ地として利用されています。
このような中で、禅の大学らしさを出すために、また、工事中の美化ということもあり、図書館の前や禅研究館の前に、枯山水の庭に風紋を書き、金閣寺垣・建仁寺垣などの竹垣を施しました。お帰りの時、あるいは後に母校を訪れたときに、ゆったりと眺めて心を休めていただければ幸いです。
このように皆さんの母校は、歴史やエピソードに満ちた魅力的な大学です。歴史・伝統・話題性溢れる駒澤大学で学んだことを誇りにしてください。
グローバル社会の中で、クールジャパンとして日本製品や和食などの日本文化が注目されており、それらの文化の底流をなしてきた禅がひときわ世界の注目を集めています。コンピュータ囲碁で優勝を重ねている頭脳エンジンに「ZEN(禅)」という名称がつけられているのも、禅が世界的に注目されていることと無縁ではないでしょう。
駒澤大学は、仏教の教えと禅の精神を建学の理念、つまり教育・研究の基本としてきました。この建学の理念は、永きにわたり「行学一如」という言葉で表されてきました。
「行学一如」の「行」とは自己陶冶、すなわち自分をより優れた人間として育て上げる自己形成のこと、「学」とは学問研究のことです。そして「行学一如」とは、自分をより優れた人間に成長させることと学問研究に励むことが一つのことであるとします。
「行学一如」は、特に「行」の重要性を教えます。常にアクティブな姿勢で学問研究に取り組む「行」によって、学問研究は本物の「学」として、自分の血肉となるのです。「学」に支えられた「行」の実践が尊いのです。皆さんには、この建学の理念がしみ込んでいるはずです。これからもこの建学の理念である「行学一如」を実践し、アクティブな「学」を続けていってほしいと思います。
また、禅の言葉に「随処に主となる」という言葉があります。いかなる場所や状況にあろうとも、常に自分のできることは何かということを考え、行動できる人になってほしいと思います。
また、福井県の永平寺を開いた道元禅師には『典座(てんぞ)教訓』という書があります。典座とは、禅寺の料理長のことです。料理を作るということはとても大切な仕事で、立派な修行であるということを書いたもので、いわゆる料理長の心得の書であります。この中に中国の典座とのエピソードが書かれています。道元禅師が天童山という寺で修行していた真夏のある日、この寺の典座が焼けた敷き瓦の上で、汗をもかまわず、いかにも苦しそうにきのこをさらしており、年齢を問えば、68歳だという。道元禅師がなぜ若い人にやらせないのか、また、この炎天下でやらなくてもよいのではないかというと、他人は他人、自分がやらないで誰がやるのか、今やらないで何時やるのか、とぴしゃりと言われてしまったというのです。
さらに道元禅師はその著書『正法眼蔵』の中で、「而今(にこん)」ということを述べておられます。今が大切、今が大事ということです。考えてみれば、私たちは何時も今にしか生きていません。「またこの次、またこの次」という先送りは、問題の本質的な解決にはなりません。私たちはややもすると、この先送りを重ねてしまいます。やはり、今が大切であります。「今でしょ」であります。「今でしょ」の意義は、800年前の道元禅師が仰っています。皆さんも「今を大切に」生きていってください。
最後に皆さんにお断りしておかなければならないのは、開校130周年記念棟建設に伴う解体工事に最終年度が遭遇してしまったことです。ご不便をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。おかげさまで、工事は順調です。あと1年9ヶ月でメインタワーが完成します。その暁には、9階から眼下に広がる駒沢公園を一望し、1階に降りて、一層広くなった食堂で、ワンコインで銀座スエヒロのステーキ定食などを召し上がっていただきたいと思います。
これまで、縷々述べてまいりましたが、まず、本学が555年・420年の伝統と歴史を持ち、太田道灌・徳川家康・水道橋・振り袖火事・吉祥寺の街・六本木ヒルズ・テレビ朝日・銀座ライオン・ゴルフ場など、興味深い事柄、地名などと、深い関係にあり、他大学の追随を許さない誇るべきものを沢山持っており、世界から注目されている禅の大学であるということをお伝えいたしました。また、皆さんは「行学一如」「随処で主となる」「而今」「今が大切」「今でしょ」のように誇るべき大学文化の中で成長されてきました。これからもこの精神で生きていっていただきたいと思います。これらを贈る言葉とさせていただきます。
さあ、大きく羽ばたく時が来ました。卒業生・修了生の皆さんに幸あらんことを祈念いたします。どうぞお元気で歩んでいってください。卒業おめでとうございました。
平成28年3月23日、24日
駒澤大学 学長 廣瀬 良弘