平成25年度学位記授与式(卒業式) 学長式辞

Date:2014.03.25
駒澤大学学長 廣瀬 良弘
駒澤大学学長 廣瀬 良弘
学位記授与式会場
学位記授与式会場

駒澤大学の卒業生の皆さん、ご卒業、おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。駒澤大学の学びの期間は最高学府の4年間であり、勉学・学習の総決算ともいうべき期間でありました。教育後援会・保護者の皆様におかれましても、今日を迎えられるまでのご労苦はいかばかりであられたかを拝察申し上げ、心よりお慶び申し上げます。
また、大学院の皆さんも各課程を修了されましたこと、誠におめでとうございます。とくに、大部の論文を完成させ、博士・修士の学位を取得された方々には、お祝いを申し上げるとともに、その研鑚に対しまして敬意を表したいと思います。

さて、今年は半世紀ぶりの大雪のせいか、この大学のキャンパスも隣の駒沢オリンピック公園も紅白の梅と早咲きの桜がほぼ同じ時期に咲き、そして、ソメイヨシノもまさしく咲き始めようとしております。この好時節、弥生三月は、別れ・旅立ちの季節です。そして、皆さんもまた、このキャンパスから巣立っていきます。幸多からんことを祈らずにはいられません。
皆さんの四年間は勉学・学習に、あるいは課外活動にと、充実したものであったでしょうか。また、忙しくも、短くも感じた四年間であったでしょうか。それこそ、様々であり、感慨ひとしおであろうかと思います。
そして、皆さんが、本学に入学し、ようやく、二学年に進級しようとしていた、2011年3月11日、東日本大震災が起こり、原発事故が起こりました。皆さんのご卒業という目出度い席ではありますが、被災された方々に哀悼の意をささげ、一日も早い復興の日がまいりますことをお祈りしたいと思います。ただ、復興が成就するにはかなりの年月がかかります。戦後日本の復興事業以来の大事業であります。私たち全員が様々な形で協力して行かなければなりません。そのためにも、皆さんは、まず、自分の道をしっかりと固め、社会貢献を果たしうる力をたくわえなければなりません。

皆さんを迎える社会は混迷を深めています。グローバル化に伴い、伝統社会は揺らぎ、変化し、経済環境・雇用情勢が厳しさを増し、国際紛争が頻発し、多くの国で社会不安が拡大しております。
我が国でも少子高齢化に伴う社会活力の低下や経済格差、社会的格差、地域格差が叫ばれ、先にも触れましたように、大震災の傷跡は未だ癒える様相を見せていません。
このような中で、日本の将来を担う大学卒業生、すなわち、皆さんへの期待は高まるばかりです。しかし、基礎的学力を求める一方で、即戦力も備えていることが要求されるという厳しい状況になってきております。それだけ、社会に余裕がなくなっているのも事実であります。

皆さんは、即戦力を身につけながら、基礎的なことも学び、幾つかのスキルを獲得することも求められます。つまり、卒業後もアクテイヴな「学び」の努力が求められております。

これから、卒業されていく門出の皆さんに、なぜ、このような厳しい状況を述べるのかと申しますと、それは、厳しい社会の中でも、皆さんは立派に社会に貢献していけると確信しているからです。それは、長い本学の伝統を引き継ぎ、建学の理念に基づいた教育を受け、生活力、いわゆる駒澤力を身につけているからです。本学は他大学の追随を許さない幾つものすばらしいものをもっております。本学で学んだ皆さんには、専門の学問とともに、社会に向かって誇れるものが、自然と身についているのです。
本学は、我が国はもとより世界的に見ても長い歴史と伝統を持つ数少ない大学の一つです。本学の前身である吉祥寺は、今からおよそ550年ほど前の長禄年間に、江戸東京の祖とされる太田道灌によって、江戸城とともに建てられました。そして1592年(文禄元年)、徳川家康が江戸に入城して、3年目、堀の外に出た吉祥寺の中の学寮(後の栴檀林)が、本学の前身です。約420年前のことです。水道橋のたもとにありました。(『江戸屏風図』佐倉歴民博蔵)。
江戸時代の前半の明暦3年、1657年、振袖火事によって吉祥寺・学寮は焼失、駒込・本郷近くに移転し、門前の住民は五日市街道沿いの地を開拓し、もと居た地名を取って「吉祥寺」と称したとされます。トレンディな街で知られる今の吉祥寺です。なお、江戸城天守閣は焼けたままで、再建されず、現在の皇居には石垣のみが残っています。
明治期を迎えた曹洞宗は曹洞宗専門学本校を、明治15年(1882)、麻布北日ヶ窪、現在のテレビ朝日・六本木ヒルズあたりの地に開校いたします。一昨年、130周年を迎えました。それから、30年後の大正2年(1913)に駒沢の地に移転してまいりました。昨年は移転100年でした。近くには日本人が初めて造成したゴルフ場があるのみでした。ロマンは他にもたくさんあります。
駒澤大学は420年の歴史を刻み、意外にロマンに満ちた大学であることをお伝えしておきたいと思います。母校駒澤大学は魅惑に満ちたロマンの大学です。

さて、前述のような厳しい状況の中に旅立ちます皆さんが、くじけずに、社会に根を張って地域貢献を果たせると確信できうる理由は、本学の建学の理念に基づいた、教育を受けているからです。
このような伝統と歴史の中で、駒澤大学は、仏教の教えと禅の精神を建学の理念、つまり教育・研究の基本としてきました。この建学の理念は、永きにわたり「行学一如」という言葉で表されてきました。
「行」とは自己陶冶、すなわち自分をより優れた人間として育て上げる自己形成のこと、「学」とは学問研究のことです。そして「行学一如」とは、「自分をより優れた人間に成長させることと、学問研究に励むことは一つのことである」という意味です。
「行学一如」は、特に「行」の重要性を教えます。常にアクティブな姿勢で学問研究に取り組む「行」によって、学問研究は本物の「学」として、自分の血となり肉となるのです。高みに登り詰めた姿だけが尊いのではなく、目の前の一歩を大事に踏みしめて行く姿こそが大切であるとします。努力する今の姿が尊いのです。皆さんには、この建学の理念がしみ込んでいるはずです。皆さんには、これからもこの建学の理念である「行学一如」を実践し、アクティブな「学」を続けていって欲しいと思います。
禅の言葉に「随処に主となれ」という言葉があります。集団の中で、自分はどうせ歯車だから、人の後からついて行けば良い、という考えはやめて、いかなる場でも、集団の中に飲み込まれることなく、自分のできる仕事は何かを見出していく、見つけ出していく積極さが必要です。皆さんが主体性をもって、積極的に行動されることを望みます。

さて、我が国では戦前・戦後を通じて、欧米の文化中心、合理性一辺倒、機械に過剰に依存してきた近代主義の時代、経済偏重がまかり通ってきました。このような中で、禅仏教の文化は後方に押しやられてきた感がありました。しかし、日本内外の政治・経済の不透明、西洋文明の行き詰まり、社会不安の中で、合理性からこぼれたものをすくい上げ、人工物・機械の限界を見極め、このような社会からの脱却を目指し、自然と調和して生きる禅・仏教の精神が重んじられるようになってきました。
「美しい日本」「おもてなし」「和食」が世界の注目を集めているのも無縁ではありません。グローバル化の中、世界の人々とともに活動していく上で、語学力、コミュニケーション能力を身に付けておくことは当然の事でありますが、私たちが日本の良さや日本文化を理解しておくことは極めて重要なことでありましょう。
「おもてなし」の根底には禅・仏教の慈悲、すなわち、「思いやり」や「いつくしみ」の精神があります。また、「和食」もシンプルで、清潔感あふれ、穏やかな、真心のこもった料理というイメージがあり、禅の精神に連なるものがあります。
まさしく、禅・仏教の大学で学んだ私たちや皆さんの時代だといっても過言ではないでしょう。大いに自信を持っていただきたいと思います。

川端康成は、昭和43年(1968)、ノーベル文学賞を受けたストックホルムでの記念講演、「美しい日本の私」の冒頭で、永平寺を開かれた道元禅師の和歌を引用しております。

春は花夏ほととぎす 秋は月冬雪さえて 冷しかりけり

というものです(『傘松道詠』さんしょうどうえい)。淡々とした表現の中に日本の自然の美しさや、四季の移ろいのすばらしさを言いえていると述べています。
川端は、一休や良寛などの禅僧にも触れ、禅と深い関係にあった明恵や枯山水や立花(生け花)などの禅とかかわる文化についても述べ、古典文学に触れて、道元禅師に戻って、この講演を締めくくっております。道元禅師は、越前(福井県)の永平寺で、大自然の息吹きにリズムを合わせながら、坐禅を中心とした修行生活を続けておられたのです。その中から生まれたのがこの和歌です。
ここで何よりも注目すべきは、ノーベル文学賞受賞者の川端康成が「美しい日本」を一番よく理解し、肌で感じ、歌にして表現することができた人物として道元禅師を挙げていることです。禅が日本の生活文化に深い部分で影響を与え、日本の近現代文学の最高峰たる文学者にもその底辺の部分で強く影響を与えていたことが理解できるのであります。
道元禅師は大自然の中で、その息吹きにリズムを合わせることによって、日本の四季を感じとり、「美しい日本」を感じ取ったのであります。社会の厳しさの中で生きてゆかなければならない皆さんも大自然の中で深呼吸をし、リズムを合わせることによって、「美しい日本」の四季を感じ取るようなゆとりの時間を、時には作ってください。坐禅の経験のある方は足を組んでみてください。足を組めない方には「イス坐禅」の方法もあります。背筋を伸ばし、アゴを引いて息を整えてください。そこにはきっと、一歩引いて物事を見るゆとりがでてくるでしょう。駒澤大学で学んだことを実践してみてください。

道元禅師には、『典座教訓(てんぞきょうくん)』という著作があります。典座とは、禅寺の料理長のことです。料理長の心構えが書かれています。そこで、美味しく料理を作る心構えとして、「喜心」「老心」「大心」を挙げています。「喜心」は、今、この職に就いていることに感謝し、喜んで作ることの大切さを説きます。喜んで、生き甲斐ある仕事をするということは基本中の基本です。「大心」はいうまでもなく、大きな広い心で作ること。そして、「老心」は親心のことです。親が子を育てるためには、どのような苦をも厭わない、そのような親が子を思う心を持って、料理を作るべきであるというのです。おそらく、この精神は、今も世界中の一流のシェフが抱いている心かもしれません。子の成長を一心に思う親心、真心をもって、ことに臨むことの大切さは、料理ばかりでなく、私たちの日々の生活の中でも、仕事の上でも大切なことでしょう。皆さんもこの精神で仕事に打ち込んでいただきたいと思います。
最後に道元禅師の「愛語」という言葉を紹介いたしましょう。優しい言葉のことです。愛語というのは、慈愛の心を起こし相手の気持ちを察して優しい言葉をかけることであります。面と向かって「愛語」を聞けば、喜びが顔に表れ、心が楽しくなります。面と向かわないで、間接的に「愛語」を聞けば肝に銘じ、魂に銘ずる。魂に響くほどの喜びが沸いてくるというのです。また「愛語には回天の力あり」、愛語には物事すべてを好転させる力があると述べています。この人に優しい言葉をかけるという、「愛語」の活用も実践してみてください。物事が万端きっとうまくいくことでしょう。

これまで、様々なことを述べてまいりましたが、これらの多くは、駒澤大学の中で、皆さんが耳にしてきたことであります。皆さんの卒業に当たり、あらためて、申し述べてみました。ともかく、駒澤大学で学んだことを誇りにして、胸を張って堂々と生きていってほしいと思います。駒澤大学は卒業生の皆さんを応援しております。皆さんも苦しいとき楽しいとき、本学を訪れてきてほしいと思います。また、全国に21万人の同窓生がいます。人と人との絆を大切にする方々ばかりです。同窓の方が近くにいましたら声をかけてみてください。年に一度、秋にはホームカミングデーも開かれます。母校を訪れてほしいと思います。
おわりに、一つだけお願いがあります。それは、今日まで、一心に皆さんの成長を願ってこられた保護者やお世話になった方々に一言御礼を申し上げてください。

卒業生の皆さんのご健康とご活躍を祈念申し上げまして、式辞といたします。本日は誠におめでとうございます。

平成26年3月25日
駒澤大学長 廣瀬 良弘