国宝(吉田 修一著)
Date:2019.04.01
書名 「国宝)
著者 吉田 修一
出版者 朝日新聞出版
出版年 2018年9月
請求番号 913.6/1765-1・2
Kompass 書誌情報
原稿締め切りの直近まで、ここで紹介させていただく作品は、G.マルケスの『百年の孤独』でいこうと決めていた。南米のある村の一族、ブエンディア家の百年にわたる栄枯盛衰を描いたこの名作をとりあげることで、構造と主体という社会科学の核心テーマについても言及でき、経済学部教員としての役割を微力ながら果たせると思ったからだ。だが、先日読み終えた『国宝』に感銘を受け、もろくも当初の構想は180度方向転換することになってしまった。
『国宝』は、芥川賞受賞作品『パーク・ライフ』や、映画化もされた『悪人』や『さよなら渓谷』で知られる現代気鋭の作家、吉田修一氏の長編小説である。同作品は、朝日新聞に連載小説として掲載され、日本の伝統芸能である歌舞伎に焦点を当てた重厚な作品として、大きな反響を呼んだ。物語の内容は、世襲的な「梨園」文化により血筋が何よりものをいう歌舞伎界において、極道の家庭に生まれながらも、歌舞伎役者を志し、後に希代の立女形として「人間国宝」にまで上りつめてゆく男、立花喜久雄の一代記である。
若き喜久雄に、病床中の師匠が語りかける言葉がある。「どんなことがあっても、おまえは芸で勝負するんや。...どんなに悔しい思いしても芸で勝負や。ほんまもんの芸は刀や鉄砲よりも強いねん。おまえはおまえの芸で、いつか仇とったるんや」。並優れた美貌と才能で頭角をあらわし、三代目花井半二郎を襲名し、歌舞伎界の寵児とまで言われるようになる喜久雄であるが、その後の彼の人生が順風満帆だったわけではない。先輩役者からの冷酷な仕打ち、さらには自らの出自に起因する大スキャンダルなどにも巻き込まれ、歌舞伎界からの事実上の追放という状況にまで、彼は追い込まれることになる。喜久雄は、自身にとって不本意なマスコミ露出や映画出演も承諾し、さらには打算的な策略結婚もいとわない。「他のものは何もいらないから、歌舞伎が上手くなりたい」。ただそれだけが彼の願いだった。屈辱と退廃の日々を乗り越え、やがて彼は見事に復活を遂げる。喜久雄の踊りが、「完璧を超えた完璧な芸」と評され、一般人には到底理解できない神の領域に到達したとき、孤高の彼がみた光景はどのようなものだったのだろうか。
実際に本を手にとって読んでいただきたいので、ストーリーの詳細についてネタばらしはこれ以上しないすることにする。ただ、作品の中でまさに影の主人公として描かれる魅力的な登場人物たちについて、少しだけ触れておきたい。師匠の実子として梨園に生まれ、喜久雄と同様、歌舞伎を心から愛しながらも対照的な運命をたどる親友・俊介、幼少期から喜久雄を支え続けた破天荒な徳次、さらには春江や彰子、市駒や綾乃など、彼らの生き様の何と美しく愛おしいことか。歌舞伎界の人間国宝の話なんてと食わず嫌いの学生の皆さんは、同氏の『横道世之介』を最初に読まれることをお勧めしたい。主人公・世之介は典型的な凡人(ダメ人間)であるが、同作品は、彼の生き方を通じ、不振で憂鬱な時期に何を考えどう行動したかが人生において決定的に重要であることを、私たちに教えてくれる。喜久雄は必ずしも「立派な人間」などではない。『国宝』における著者のメッセージも、実はこの点に発せられていると私は思うのである。
経済学部 教授 大野 哲明