中江丑吉の人間像 : 兆民を継ぐもの(阪谷 芳直, 鈴木 正編)
Date:2019.02.01
書名 「中江丑吉の人間像 : 兆民を継ぐもの」
編者 阪谷 芳直、鈴木 正
出版者 風媒社
出版年 1970年6月
請求番号 289.1/2307
Kompass 書誌情報
国家や民族や宗教や様々な主義主張による対立が激化し、それぞれの陣営から自分に都合の良い情報が大量に流されている現在、そうした情報に踊らされないようにする必要があります。
その際の参考になるのが、中江丑吉(1889-1942)です。中江兆民の子である丑吉は、戦前から戦中にかけて住んでいた北京の地で、諸国の政府やマスコミが発表する情報にたぶらかされず、日中の開戦とそれに続く世界大戦の進行具合や結果を、見事に予見していました。ドイツ軍や日本軍が破竹の勢いで進撃していた時期においても、ドイツと日本は最後には負けるとの主張を変えないまま、終戦の3年前に亡くなったのです。
その丑吉は、中国の古典、西洋の哲学や社会科学の名著、諸国語の新聞などを精読するだけでなく、街の様子を観察して考察の材料にしていました。白菜の値段があがったと聞くと、「北で軍隊が動いているな」といった判断をするのです。
北京の日本人学校の教師をしていた加藤惟孝は、そうした丑吉に気に入られ、カントの『純粋理性批判』を読む会をやってもらっていました。それを「稽古」と称した丑吉の鍛え方はすさまじいものでした。
自力で原文に取り組ませ、解説書などを参照することを許さず、ひと区切り読むと、「そこのところを誰にでもわかるようにいってみろ」と命じたのです。つまり、学問のための学問ではなく、実社会で通用するような学問をめざしたのです。
一緒に街に出た時も、広いグラウンドでポロを楽しんでいる西洋人を見ると、どれくらいサラリーがあればポロを続けられるか当てさせ、これこれ費用がかかるが、彼らの収入の〇〇パーセントだと告げました。西洋列強と日本のサラリーマンとの違い、つまりは国力の違いを示し、日本はそうした国々と戦争しようとしていることを教えたのです。
生きた学問とは、こういうものではないでしょうか。
仏教学部 教授 石井 公成