経営学部のゼミ企画紹介「日本経済史街歩きツアー:本郷・上野編」(前編)

 経営学部・中村(一)ゼミでは、例年ゼミ企画として「日本経済史街歩きツアー」を実施しています。一昨年度の「東京駅編」、昨年度の「ミナト横浜編」に引き続き、今年度は11月23日(木・祝)に「本郷・上野編」を実施しました。

 過去2回では比較的フラットな地域で微妙な地形の変化を読み取りながら歩くことを課題としていたのに対して、今回はわかりやすく起伏に富んだ地形を歩きながら、人間が生きて活動してきた痕跡をたどっていきます。

 今回歩く街は、不忍池(図中央)を挟んで位置する本郷台地(図左側)と上野台地(図右側)に展開しています。集合場所は東京メトロ千代田線根津駅。ここからまずは本郷台地に向かいます。

(図出典:国土地理院Webサイト「地理院地図/アナグリフ(カラー)」を加工して作成。)

 根津交差点から言問通りの坂を上っていくと、途中に「弥生式土器発掘ゆかりの地」の石碑があります。高校までに学ぶ日本史年代の「弥生時代」という名称の由来がこの地の町名にあるのですが、今回の問題関心は「この土器発掘の地はなぜ坂の頂点ではなく中腹地点なのか」ということにあります。当時の自然環境を想像しながら、そこに身を置いたつもりになって考えてみましょう。

 言問通りを上り切って本郷通りに入り、東京大学本郷キャンパスにお邪魔します。この地にある通称「三四郎池」に、上記の問いを解くヒントがあります。

 東大病院そばの鉄門をくぐり本郷キャンパスを出て、本郷台地から不忍池に向かって無縁坂を下っていきます。その途中、また坂の中腹(このことの意味も考えてみましょう)に三菱史料館と旧岩崎邸庭園があります。三菱と岩崎家の関係についてはすでにゼミで勉強していますが、旧岩崎邸が建設された年代とその時代の日本経済の状況について考えながら、豪奢な洋館を見学します。

 不忍池まで下りてきました。池を挟んだ反対側に上野台地が見えます。実際に坂を上って下りてきたことによって、東西の台地に挟まれた谷に大きな水溜まりがある、という地形が見えてきたでしょうか。なおこの池の一部(現在の蓮池部分)は、戦時期に食料生産のため水を抜いて田畑として利用されたという過去があります。

(後編に続く。)

(K.N.)