自我の起原 愛とエゴイズムの動物社会学(真木 悠介 著)

眼横鼻直(教員おすすめ図書)
Date:2023.08.01

書名 「自我の起原 愛とエゴイズムの動物社会学」
著者 真木 悠介
出版社 東京 : 岩波書店
出版年 2008年11月
請求番号 080/25-205
Kompass書誌情報

2022年4月に逝去された見田宗介先生は、日本の社会学を代表する存在の1人であり、後続の世代に大きな影響を与えた方でした。数多くの著作で知られる見田先生ですが、狭い意味での社会学を超えた、領域横断的ないし学際的、さらには狭い意味での学問の枠を超えた著作を発表する際には「真木悠介」というペンネームを使っていました。

2023年4月には、「見田宗介/真木悠介を継承する」というシンポジウムが開催され、私も縁あって登壇させていただきました(https://peatix.com/event/3504496)。その時の記録は、『思想』2023年8月号(https://www.iwanami.co.jp/book/b631151.html)に掲載されました。

本書は、形を改めて再版された書物をのぞけば、見田先生が事実上最後に「真木悠介」名で世に問われた単著です。『自我の起原』の主題は「自我の比較社会学」です。それは「〈自己〉というふしぎな現象の比較社会学のための予備作業」と位置づけられます。

みなさんは〈自己〉ないしは〈自我〉、平たく言うと「私自身」という個としての存在を「ふしぎ」と考えたことがあるでしょうか。多くの方は、それは他の人間、他の動物や植物、ほかの物とははっきり区別された、独立した存在であると考えていると思います。真木悠介はこうした考え方に対して、真っ向から挑戦状をつきつけるのです。

真木悠介はこの挑戦を、社会生物学などのさまざまな知見を分析し、それを社会学や哲学の知見と結び合わせていくことで推し進めていきます。その結果たどりついた結論は、人間が「個体」として認識している自我とは、その中で遺伝子レベル、真核細胞レベル、多細胞体レベルなど、「固体」を構成している重層的なメカニズムのそれぞれがさまざまな「テレオノミー」(目的)に従って働いており、多種多様な生命が「多重共生」し合っている有機的な存在であるという主張です。

これを真木悠介は、「重層的非決定性」と呼びます。「非決定」的であるということは、あらかじめ我々は自分の意志を超えた何か一つのメカニズムに初めから屈しているのではないということです。ということは、人間は「原的」に自由でありえるということになります。

そのような存在である人間は、非人間を含めた他者との間に、それぞれが持っている多重共生のメカニズムを通して、働きかけ合っています。これは人間だけでなく、すべての生命は常に、そのような重層的なテレオノミーにさらされ、お互いに響き合いながら生きているのです。

たとえば花を美しいと感じるということは、花が人間のためにではなく、自己の再生産ないし遺伝子の複製のためにそのような存在として進化してきたことを考えると、実は驚くべき現象なのだと真木悠介は論じていきます。

それとは逆に、人間同士で誠意を持って接しているにもかかわらず、その相手を人間としてあるいは生物として扱わないようなことも起きうるということにもなるでしょう。このような捉え方は、いわゆる「二次元」やVRなどといった広い意味での「メディア」と人間との関係にも応用できそうです。

真木悠介は本書の最後に「どの他者もわれわれの個としての生の目的を決定しないし、どの他者もわれわれの個としての生の目的を決定することができる。この無根拠と非決定とテレオノミーの開放性とが、われわれが個として自由であることの形式と内容を共に決定している」と述べています。

人間の原的な自由と他者との交歓可能性を、科学的な知見を基礎に起きつつ展開していく本書は、まさに学際的・領域横断的にこの世界全体と、その中にいる私たちの関係を理解するための基礎を提供しています。

私が本書に出会ったのは、「国際関係」とは何か?それは一人一人の人間、国家とどのような関係にあるか、そして今後グローバル化が進展していくなかで「国際関係」はどのように変容していくのかを問う博士論文を構想していた時でした。

その時に鍵となったのは、近代的な個を規定する「自我」という概念であり、本書と向き合うことで「世界のでき上がり方」を構成する3つの要素がどのように関連してきたかを歴史的に示す〈自我・国家・国際関係〉という図式を提示することができました(『近代日本の国際関係認識 朝永三十郎と「カントの平和論」』創文社、2009年)。

人間活動の急速な拡大による「惑星限界」が地球温暖化や生物多様性の減少といった形で我々に人類そして地球上の生命全体の危機をもたらしています。現在、自分だけ、人間だけ、あるいは人間同士だけでこの世界を考えるような思考ではそうした危機に対応できないという主張が盛んに展開されるようになってきています。

こうした状況において、すべての生命どうしが共鳴し、交歓し合う可能性を持っていることを示唆している本書が示す、人間自体が多重共生体であり、地球上の諸生命もまた同様に多重共生体であるという捉え方をしていくことは、21世紀も四分の一が過ぎようとしている現在、きわめて重要な鍵になると思われます。

そうした思考の先駆者であった宮澤賢治を扱った同書の「補論2」も含めて、本書はグローバルな世界で生きるわれわれがどのような存在であるか、どのような存在であり得るかを示してくれることでしょう。また、同じく真木悠介名義で発表された『気流の鳴る音 交響するコミューン』(原著1977年、ちくま学芸文庫、2003年)は、本書における考察の出発点となった著作で、毎年学生と読み継いでおり、学生たちに大きな示唆と支えになってきました。併せて読んでみるとよいでしょう。

グローバル・メディア・スタディーズ学部 教授 芝崎 厚士

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