『西遊記』と言えば、だれもが知っている中国の冒険譚。その奇想天外な物語は、唐の時代(7〜10世紀)の僧、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう:三蔵法師)の求道の旅を元に創作されたもの。吉村誠先生は玄奘三蔵と、彼が探求した仏教の教え「唯識(ゆいしき)」を研究している。『西遊記』と玄奘三蔵の繋がりをひも解きながら、唯識の世界を少しだけのぞいてみよう。
『西遊記』で描かれた天竺への旅を
唐の時代に成し遂げた玄奘三蔵
仏教の中でもとくに人間の心について解き明かそうとした「唯識」思想と、その経典を探求して中国からインドまで17年半もの旅をした唐の時代の僧、玄奘三蔵*について研究しています。
玄奘三蔵は『般若心経』をはじめ多くの経典の翻訳も手がけた人物。そして、明の時代(14〜17世紀)に書かれた『西遊記』は、玄奘三蔵の命がけのシルクロードの旅を素材とした物語です。『西遊記』の三蔵法師は玄奘三蔵がモデルなんですよ。思想家であり冒険家でもあった玄奘三蔵の伝記を読み解いていくと、今も新たな発見があります。
そもそも仏教は、人の悩みや苦しみに応えるためのものです。私も若い頃は、それなりの悩みがあったんでしょうね、気がついたら頭をそってお寺で暮らしていたんですよ(笑)。高校1年生の夏休みのことです。京都の禅寺で高名な老師のもと、朝3時に起きてお経を読み、坐禅を組んで、掃除をし、ご飯をつくるという生活を、数十日間、淡々と過ごしました。それから長期の休みごとにお世話になりましたが、その生活の中で、今までいかに自分のことばかり考えていたのか、お世話になった方々に何もせずにきたのか、おのずと気づかされたんです。後から考えれば、それがまさにお釈迦さまの教えであり、私が仏教と出会った最初のできごとでした。
大学では仏教を通じて人の心を知りたいと文学部に入り、一方で奈良の薬師寺にお世話になりました。当時の高田好胤管長は布教に熱心な方で、玄奘三蔵のお頂骨(頭骨)を供養する玄奘三蔵院伽藍の建立にも尽力されていました。そんなご縁もあって玄奘三蔵についての研究を始めたのです。
*三蔵=「経」・「律」・「論」に精通した僧に対する尊称
人の心を奥深く探る
仏教の深層心理学「唯識論」
玄奘三蔵がはるばるインドまで追い求めた仏教の教理、唯識は「私たちが見ているあらゆる存在は、自分の心が作り出したものである」とみる思想で、私が関心を持った"人の心"とも深く関わります。仏教の深層心理学という人もいるほどです。
では、心というのはどこにあると思いますか?ふつうは自分の意識にあると考えますね。仏教では「眼識」「耳識」「鼻識」「舌識」「身識」の五識に、「意識」を加えた六識ですべての心を説明します。ところが唯識では、それ以外にも心があると考える。それが「末那識(まなしき)」と「阿頼耶識(あらやしき)」です。どちらも、六識という表層心理の背後にあり、常に働いている深層心理です。
末那識は今の心理学で言う自我意識のようなもので、他人と自分を区別して自分を優先しようという心。一方、阿頼耶識は自分自身のすべての経験を貯蔵する心です。記憶にとどめている経験だけではありません。たとえば、幼いころのぼんやりとした経験とか、生まれる前に経験したこととか、すべてが阿頼耶識に保存されているというわけです。そして、この阿頼耶識に蓄えられた過去の経験が、末那識や六識の基盤となり、現在の自己や世界の認識に影響を与えているというのです。
現代では、そうしたことを脳科学や遺伝学などで説明しようとしていますが、未だすべてを解明できてはいません。古代の人びとも私たちと同じ疑問を持っていて、それを解こうとしていたわけです。ただ、唯識は仏教の思想ですから、その目的は「悪い行いをせず、善いことを行い、自分の心を清めなさい」というお釈迦さまの教えを実行することにあります。ここが科学との違いですね。
ちなみに、阿頼耶識のālayaという言葉は貯蔵という意味で、あのヒマラヤという山の名前にもこの言葉が使われています。ヒマラヤ(Himālaya)とは、雪(hima)をいっぱい蓄えている(ālaya)という意味なんです。
玄奘三蔵のはるかな旅に見る
孫悟空たちのルーツや仏教伝播の真実
私たちには唯識という人類の知的遺産を理解し、次世代に引き継いでいく責務があります。私は僧侶ではありませんから、仏教を人間の文化の一部として捉えて、それを多くの人に伝えていきたい。そのためには、『西遊記』のような親しみやすい入り口も大切だと考えています。
玄奘三蔵の伝記『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』、いわゆる『慈恩伝』は全10巻もある膨大な書物ですが、『西遊記』の物語にもそれに由来する話がかなりあるんですよ。
たとえば、『慈恩伝』には玄奘三蔵がタクラマカン沙漠を旅する途中、手が滑って飲み水を入れた皮袋を落としてしまい、行き倒れになってしまう記述があります。そのとき玄奘三蔵は、夢に出てきた恐ろしい神に「なぜ倒れているのだ、進め!」と叱咤され、驚いて進み出すと水(オアシス)にたどり着き命を救われたといいます。 『西遊記』はこの沙漠で玄奘三蔵を助けた神を、沙悟浄(さごじょう)として登場させます。また、日本ではこれを「深沙大将(じんじゃだいしょう)」などと呼び水の神として信仰し、多くの仏像が作られました。その姿は、髪を逆立て髑髏やヘビを身にまとった恐ろしい姿です。ちなみに、カッパの姿の沙悟浄は、『西遊記』の沙悟浄に日本の水の妖怪が重ね合わされた日本独自のキャラクターです。
また、孫悟空は西夏時代(11~13世紀)の壁画で玄奘三蔵の従者として描かれたサル顔の人物がモデルではないかと言われています。しかし、さらに古い時代の肖像画では、玄奘三蔵の脇に顔色の蒼い男が描かれていました。これは肌色の違う異国人の従者だと思われますが――玄奘三蔵が旅に同行した高昌(トルファン)の若者でしょうか――彼こそが孫悟空のルーツだと考えています。
このように、玄奘三蔵と『西遊記』の結びつきは親しみやすくおもしろいテーマなので、ゼミでは学生たちと一緒に改めて『慈恩伝』を読み直しています。そこから仏・菩薩の信仰にも興味を持ち、最終的にお釈迦さまや唯識の教えにたどり着いてもらえれば、それが私の学んできたことの継承や、お世話になった方々へのご恩返しになるのではないかと思います。
いにしえの事跡を訪ねて知る
お釈迦さまや玄奘三蔵の生きた世界
『慈恩伝』は、すべて漢文で書かれています。私の研究は、それを黙々と読み込んでいくわけで、正直、楽な作業ではありません。そこで、資料に関するいろいろな場所へ出かけて行ってモチベーションを高めるわけです(笑)。
やはり、現場を見ると「うわっ」と思う。パワーが出るんですよ。中国やインドの岩肌に刻まれた仏像群の圧倒的なスケール感。いったいこの石仏はどんな人たちが、何のために、どんな思いで作ったんだろう、ここまで人を駆り立てるのはなぜだろうと、さまざまな思いがわき起こります。奈良時代の日本人も、洛陽まで命がけの旅をして龍門の大仏を目の当たりにして大いに感動し、東大寺の大仏を建立したわけです。そう考えると深い感銘を受けますよね。
こうした体験は、直接、研究成果には繋がらなくても、研究を続けていくための大きな後押しになります。だから、折を見て玄奘三蔵やお釈迦さまのゆかりの地へ足を運ぶようにしています。
本格的な研究を始める前、学生時代にも玄奘三蔵の足跡をたどってシルクロードをバックパックで旅しました。インドではカースト制度による身分差別や行き倒れた方の亡骸など、日本では分からない社会の厳しい現実も知ることができましたし、そんな国でお釈迦さまが、「生まれによって賎しい人や尊い人になるのではない。行いによって賎しい人にもなり尊い人にもなるのだ」と説かれたのかと思うと、改めてすごいことだと実感します。中国では、30年前、西安から電車で3泊、そこからさらにバスで10時間かけて敦煌へ行きましたが、かつての馬と自分の足だけが頼りの旅がいかに過酷だったか身にしみました。いにしえの事跡をたどる旅は、お釈迦さまや玄奘三蔵の生涯の追体験でもあるのです。
今、行ってみたいのはアフガニスタンのバーミヤンなどの遺跡です。玄奘三蔵の旅の苦労を忍びつつ、中央アジアの仏教の実態も見てみたい。戦争さえなければと残念でなりません。やはり、平和でなければ仏教の教えも伝わらないし、現地に行くこともできません。平和とは仏教の教えでもあり、その布教においても研究においても、そして私たち人類の暮らしにとっても、この上なく大事なことなのだと思います。
- 吉村誠教授
- 1969年、東京都生まれ。早稲田大学大学院博士後期課程修了。博士(文学)。2004年より駒澤大学仏教学部専任講師。講師・准教授を経て2013年より現職。専門は中国仏教思想史。とくに中国唯識思想史について玄奘の事跡を中心に研究。主な著書に『中国唯識思想史研究―玄奘と唯識学派―』(大蔵出版)、訳書に『続高僧伝Ⅰ』(大蔵出版)などがある。