ラボ駅伝

駒澤大学で行われている研究を、リレー形式で紹介する連載メディアです。創造的でユニークな研究を通して見える「駒大の魅力」をお伝えします。

学びのタスキをつなぐ 駒澤大学 ラボ駅伝

第31区 文学部 国文学科 近衞 典子 教授

上田秋成から見る近世文学

中世以前と近代をつなぐ「扇と要」が江戸時代。深く知れば旅の楽しみが倍増します。

近世文学と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろう。江戸時代後期の文人、上田秋成を研究する近衞教授は、近世文学を読み解くと、中世以前や現代も見えてくると言う。活字の登場で庶民が文学を楽しむようになり、新たな作り手によるさまざまな文化が花開く。その一方で、『古事記』や『源氏物語』といった古典の見直しも深まった。遠い昔のようで意外と身近な近世文学、その入り口を少しだけ覗いてみよう。

作家の人生をたどり作品に流れる思想を読み解く作家の人生をたどり
作品に流れる思想を読み解く

私は近世の文学、とくに江戸時代後期の上田秋成の研究をしています。もののけと人間の織りなす怪異小説『雨月物語』をご存知の方もいらっしゃるでしょう。

大学時代は外国人に日本文化を教える仕事をしたいと漠然と考えていました。しかし当時は日本語教師になる定まったプロセスはなく、その方面での一般企業への就職も難しい。先輩に相談したら、「日本語教師をめざすならせめて修士ぐらい出ておいたほうがよい」とアドバイスをもらいました。そこで大学院に進もうと先生に相談したところ、「いい卒業論文が書けたら考えよう」という返事。授業で知った秋成の『春雨物語』を必死に読んで、論文を書き上げました。でも、秋成の人生をもっと深く掘り下げ作品に込められた秋成の思想や背景を知らないと読み解けないと痛感し、研究にのめり込むことになったのです。

近衞 典子 教授

秋成は幼少の頃に大阪堂島の大店に養子に出され、その翌年に重い病にかかります。養父が加島稲荷(現、香具波志[かぐはし]神社)に夜参りを重ねて命乞いをすると、夢枕に神が現れ「その気持ちに免じ、子には68年の寿命を与えよう」と告げられ、秋成は一命を取り留めるのです。その後は跡取り息子として、よく似た境遇の仲間と遊び文学もたしなみます。27歳で結婚して家を継ぎ、35歳で書いた3作目が『雨月物語』です。養父母には大事に育てられましたが、彼は「私は父も知らず母には捨てられた」と言っています。実の親への思いが、ずっと心にくすぶっていたんですね。

38歳の時、秋成は火事で財産をすべて失います。途方に暮れて、町医者の都賀庭鐘(つがていしょう)のもとで学び医者となりますが、稼業のかたわら好きな古典も研究し、創作を続けました。真面目に働いて家も再建しますが、財産を無にした親不孝者、という思いは秋成が死ぬまでつきまとったようです。

そして寿命と告げられた前の年、67歳で加島稲荷に移り住むと、死を覚悟して身の回りを整えます。しかし、年が明けても死ぬことはありませんでした。この頃から、秋成の作風は変化します。残された命は好きに生きようといった、突き抜けた明るさを感じさせるようになるのです。68歳で寿命を迎えるという養父に言い聞かされてきたお告げが、無意識にそれまでの秋成を律してきたのではないかと感じます。

秋成最初の小説『諸道聴耳世間猿』(後刷)の表紙見返し。挿絵は、「三番叟(さんばそう)」に見立てられた三匹の猿。

古典のパロディで笑いに包んで世の中を憂う古典のパロディで
笑いに包んで世の中を憂う

秋成の『癇癖談(くせものがたり)』も面白い作品です。有名な『伊勢物語』の「い」を「く」に変えて、秋成のまわりの"ひと癖ある" 一流人たちを面白おかしく描いた、50歳代後半の作品です。当時の本を見ると、誌面の構成や注釈の入れ方まで真似しています。偏屈で気難しいと言われた秋成ですが、こんなパロディで遊ぶ茶目っ気もあったんですね。

元となった『伊勢物語』は、在原業平らしき男の色恋を和歌で綴った物語ですが、京を疎んじて関東へ下る「東下り」の一節は、当時の藤原氏一強の世の中をも写し取っています。秋成は「物語は人の心の中にある、言うに言われぬ不満や憤りを吐き出したものだ」と言っていますが、『伊勢物語』も例外ではないと言わんばかりに『癇癖談』でも、毒を込めた笑いで世の中を痛烈に批判しています。
こうした思想は、『春雨物語』にも見ることができます。この作品では、実在した人物を登場させ、歴史を踏まえた上で史実とは異なる物語をあえて書き連ねているんです。史料は絶対ではなく、勝者の歴史の裏には敗者の歴史がある、という秋成の思いが見て取れます。

さらに面白いのは、『癇癖談』が彼の13回忌に仲間たちの手によって出版されたということです。たぶん、それまでは内輪で面白がって写本を回し読みしていたのでしょう。とはいえ、遠く離れた江戸の文人、大田南畝(おおたなんぽ)も読んでいたので、まさに知る人ぞ知る作品だったに違いありません。数ある作品から追悼に選ばれたということは、秋成の人柄をよく表しているのだと思います。

中世以前と現代をつなぐ日本文学の中世以前と現代をつなぐ
日本文学の"扇の要"の時代

江戸時代は大きな戦乱もなく、印刷・出版の普及もあって識字率が一気に上がります。寺子屋で読み書きを学び、上流階級の特権だった文学が庶民にも楽しめるようになりました。
また、今まで手本としてきた中国文学ではなく、本来の日本の文化、文学を取り戻そうと国学が発展し、『古事記』、『万葉集』、『源氏物語』などが熱心に研究されます。秋成もそうした古典を研究しつつ、自分の作品に取り入れています。

江戸時代には女性向けの教訓書も数多く出版された。この『女四書芸文図会』(天保六年刊)もその一つで、辻原元甫(つじはらげんぽ) が和訳した『女四書』の本文に豊富な絵図が添えられ、目を楽しませてくれる。この画を描いたのは秋成と親交があった村田嘉言(むらたよしこと)で、秋成13回忌に出版された『癇癖談』の挿絵も描いている。

明治時代になると、今度は江戸時代は古くさいと否定されていきます。たとえば、演劇では歌舞伎に対して「新派」という芝居が出てくる。でも、家制度や男尊女卑といった思想には、江戸時代の痕跡が色濃く残っていたりもするんですね。

このように、江戸時代を中心に、その前後の時代がつながって見えてくる。近世は文学史の"扇の要"のような時代なんです。

近年は、古典人気で『源氏物語』をやりたいと本学の国文学科に入ってくる人も増えているのですが、残念ながら近世の人気はいまひとつです。よく知らないということも一因です。でも、授業で取り上げると、みんな興味を持つんですよ。笑い話や怪談もあるし、『癇癖談』などの古典のパロディは現代のアニメや小説の二次創作につながるらしく、「江戸時代にも同じことが!」と驚く学生がいて、私もびっくりしました。

また、コロナ禍や地震などといった災害が相次いだことから、近世文学でも災害をテーマにした研究が増えています。私の授業でも、秋成が河内の大水害について書いた『水やり花』を取り上げてみました。当時の琵琶湖や淀川の様子が、古代史や昔の地形なども踏まえてリアルに描かれていて、秋成の生きた江戸時代と今とが地続きであることがよく理解できます。2024年1月の能登半島地震のことを考えながらレポートを書いたという学生も多くいました。

江戸時代は遠い昔の話ではなく、いろいろなところで現代の文化や暮らしともつながっているんです。
秋成の作品だけでなく、彼が生きた江戸時代の文化と、それを生み支えた、庶民も含めた時代のありようを多面的に研究することで、新たな発見もあります。

挿絵ページを見せながら当時の印刷技法などを紹介する近衞教授

近世のくずし字は読みやすい 歌舞伎、浮世絵と楽しみも広がる近世のくずし字は読みやすい
歌舞伎、浮世絵と楽しみも広がる

学生には、くずし字をぜひとも読めるようにと言っています。じつは、古代の文学は絶対数が少ないので、重要なものはほぼ活字化されていて、くずし字を知らなくても研究はできます。でも、近世文学は作者も読者も拡大しているので、活字化されていない作品や資料が膨大にあります。そうした資料は自分で読まなくてはなりません。くずし字が読めないということは、その存在を無にすること。日本の文化を途切れさせることなんです。

うれしいことに江戸時代の書物は、筆耕職人の書いたくずし字を印刷したものが多いので、個人の癖が強い手書き文字に比べると、とても読みやすい。
文字さえ読めれば、近世文学は文法も現代に近く、内容も実に多彩です。現代の演劇や歌舞伎につながる作品もありますし、挿絵を見れば浮世絵にもつながっていきます。くずし字は自転車と一緒で、一度覚えれば一生もの。人生100年時代ですから、好きな時にのんびり楽しむにもいいと思います。

近世を知ると旅も楽しくなります。東京一極集中の現代とは違って、近世は、政治は江戸、文化は京都、そして経済は大阪と、三都がそれぞれの独自性を誇っていました。ちなみに、当時は京都に行くのが上り、江戸へは下ると言いました。そこから、江戸の将軍に献上するような超一流の品物でも「下りもの」と呼ばれ、質の落ちるものは「くだらない」と言うようになったんです。

地方色も今よりずっと豊かで、各地の藩主が独自の文化を築いていました。金沢の見事な工芸品や菓子は、前田家が文化や公共工事にお金をかけ、武器を買う余裕はないと幕府へ忠誠心を示したから。松江のお茶が盛んなのは、歴代藩主の中に大名茶人の松平不昧(ふまい)公がいたおかげ。愛媛のじゃこ天が東国風にしょっぱいのは、国替えで仙台の伊達秀宗が宇和島の初代藩主となり、笹かまぼこを懐かしんで作らせたから、といった具合です。近世を研究していると、そうした文化や特色もすぐ浮かぶようになります。

デジタル化の時代だからこそ古典の面白さをもっと知ってほしいデジタル化の時代だからこそ
古典の面白さをもっと知ってほしい

デジタル技術の進歩で、古文書の貴重な資料も画像で閲覧できるようになりました。国文学研究資料館や早稲田大学図書館なども所蔵資料のデータをオープンにしています。昔は図書館や資料館に予約をして、各地に足を運んで見せていただいていたのですから、夢のような話です。
インターネットで資料を共有できたことで、くずし字が読める人も世界規模で増えています。古典は古くさいと思っている日本の方たちにも、その面白さをもっと広げていかなければと思います。日本近世文学会でも、中高生に向けたくずし字の出前授業などを行っています。割り箸袋の「おてもと」や、そば屋の「蕎麦」の看板のように、身近にあるくずし字を題材にして、もっと多くの人に興味を持ってもらおうと努力しています。

個人的には、秋成の残した和歌や俳諧をもっと調べたいですね。彼の歌は、貴族文化で培われた伝統にとらわれない非常に自由な作風です。これは、秋成の友人でもあった歌人、小沢蘆庵(おざわろあん)が提唱した「ただことうた」の実践で、秋成と蘆庵は晩年まで、心を開いた書簡や歌のやりとりを行っています。

秋成の俳諧の内容についての研究はこれまでほとんど手つかずでしたので、科研費を使って研究を始めています。1990年に上田秋成の全集の刊行が始まったのですが、俳諧や和歌、書簡などが収められる予定の最終巻はまだ出ていません。
秋成は自らの性格を外剛内柔の蟹(かに)に例えています。秋成の作品の全体像を見渡し、強がりの後ろにある、その柔らかく繊細な心持ちに少しでも寄り添えたらと念願しています。

近衞 典子 教授

Profile

近衞 典子教授
お茶の水女子大学文教育学部卒業。同大学院人間文化研究科中退。同大学助手、昭和学院短期大学助教授を経て、2001年より駒澤大学文学部国文学科教授。2015年博士号(人文科学)取得。専門は日本近世文学。とくに、上田秋成の研究に力を注ぐ。著書に『上田秋成新考-くせ者の文学』(ぺりかん社)、『江戸の実用書 ペット・園芸・くらしの本』(共著・ぺりかん社)ほか。

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