世界的な政治への不信の高まりの中で揺らぐ代表制民主主義はどうなる?
法学部 山崎 望 教授
社会学志望から政治理論の研究の道へ。なぜ人と人はケンカをするのか、なぜ人類は、国と国同士が殺し合う戦争を繰り返すのだろうという素朴な疑問から出発し、グローバル化時代における民主主義の変容を研究テーマに、アクチュアルな問いへの解答を探り続けている。
グローバル化時代に民主主義は機能しうるのか?
大きなテーマの1つとして、グローバル化時代における民主主義のあり方を研究しています。
民主主義は基本的には1つの国の中で制度化されて運用されています。一方、資本や人、思想、文化、情報といったものは国境を越えて広がりグローバル化しています。民主主義だけが一国レベルで運用されていて、国境を越えるようなグローバルな事柄をうまくコントロールできるのだろうか、という問題意識が出発点です。
たとえば、テロや難民問題、あるいは経済危機や原発を含めた環境問題などは、いずれも国境を越えた問題に発展していて、一国レベルでは対応が難しくなっています。そうすると、一国で何か決めましたといったところで意味がなくなってきているのではないか。これまで当たり前に思われてきた一国の中での民主主義というものが本当にうまく機能しているのかが、問われる時代になっているように思われます。
世界中で沸き起こる代表制民主主義への不信
現在の民主主義は古代ギリシャのような直接民主主義ではなく、間接民主主義、つまり代表制民主主義です。ところが、有権者を代表する議員が集まる議会に対して、「自分たちの意見を代表していない」という思いを抱えている人が増えている現実があります。
近年、特に2011年以降、世界中で大規模なデモが頻発しています。たとえば経済危機に陥った南欧のデモ、中東やアフリカでアラブの春といわれた民主化を求めるデモ、アメリカでは「ウォール街を占拠せよ」といったオキュパイ(占拠)運動、日本でも脱原発や安保法制反対のデモが盛り上がりをみせました。
デモだけでなく、アメリカ大統領選挙でのトランプ氏の勝利や民主党のサンダース氏の躍進、イギリスのEU脱退、ヨーロッパで広がるポピュリズムの問題などもあります。
それがよいかどうかは別にして、これらの動きの共通点は、いずれも誰かに何かを代表してもらう代表制という仕組み自体に、不信感を持つ人々が世界中で溢れ出て、大きなうねりをつくっているということです。
市民が直接集まり議論する そこに民主主義の原点を見る
代表制民主主義という制度がうまく機能しなくなっているのなら、これに代わる別の形の民主主義を模索する必要があるのかもしれません。
そこで私が関心を寄せているのは、世界同時多発的に起きているデモや公園・広場を占拠して議論するオキュパイなどの運動です。その動きの中に、今まであまり人々が考えてこなかったような民主主義の仕組みが、少しずつ形をとりはじめているのではないのかと思えるのです。
デモをしたり、公園や広場を占拠するのが民主主義といえるのか、単なる混乱ではないかとの指摘もあるでしょう。しかし、人々が集まって何かについて自分の言葉で話すというのは、民主主義の原点といえなくもありません。意見が違う人はもちろんいます。そういう人に対して、お金の力や暴力で屈伏させるのではなく、あるいは声の大きい人の意見が通るというのではなく、お互いが対等な立場で、自分たちの社会や生活をどうしていくのかを話し合う。
もしかしたらそういったことの中から、新しい仕組みが生まれてくるかもしれません。私自身はもちろん議会や国会が必要だとは考えていますが、政治家にすべて任せるのではなく、一般市民が直接集まって議論し合うことの大切さとその可能性を探求していきたいのです。
- 法学部 山崎 望 教授
- 1974年東京生まれ。98年東京大学法学部3類卒業。2006年同大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。法政大学講師を経て06年駒澤大学法学部政治学科講師、11年准教授、17年教授。専門は現代政治理論。近著に『ここから始める政治理論』 。
※ 本インタビューは『Link Vol.7』(2017年5月発行)に掲載しています。掲載内容は発行当時のものです。