東京に再びオリンピックがやって来る。柔道は日本で生まれ、1964年の東京オリンピックで正式種目となった。スポーツとしての魅力と精神的鍛錬を兼ね備え、世界的にも高い人気がある。しかし、日本の柔道人口は減少基調だ。柔道の魅力を伝えるには何が必要なのか。シドニーオリンピック金メダリストであり、本学で教鞭も執る瀧本先生に話をうかがった。
年々減少している
日本の柔道競技者人口
僕は2000年のシドニーオリンピックで金メダルを取りました。同じような実績を持つ人は引退後、選手強化の指導の道に進む人が多いんです。しかし、僕は強化だけの指導者になりたいとは思わなかった。自分の経験を何か別のかたちで伝えていきたいと考えながら、子どもの柔道教室などに携わるうち、スポーツを学問としてきちんと勉強したいと考えるようになりました。そこで大学院に入ったのですが、「あなたは、何の研究がしたいの」と改めて問われ、もっと柔道をする人・携わる人を増やしたい、柔道の素晴らしさを伝えていきたいという気持ちが明確になったんです。
僕が大学院に入った2012年に、ちょうど中学校の武道必修化が始まりました。そこで、実際に授業を見たり担当教諭に取材したりして、現場の状況を論文にまとめました。
実は、日本の公式な柔道人口は年々減っています。有段者の数は他国とは比較にならないほど多いのですが、実際に全日本柔道連盟(全柔連)に登録して公式の大会に出場したり、審判や指導者として登録したりしている人は、2018年度14万9301人と15万人を割り込みました。2006年までは20万人を超えていたので、10年ちょっとで5万人も減ったのです。少子化の影響もあるとはいえ、小・中・高校生の登録者が急激に減少しています。
中学校で柔道・相撲・剣道などを指導するうえでは、指導者や施設の不足が大きな課題となっています。指導者不足は安全面から保護者に不安も与えてしまいます。柔道は危険なスポーツだと思われがちですが、遊び半分でやっているから事故が起きる。きちんとした指導者の下で真剣に取り組めば、けっして危険なスポーツではありません。危険を回避した中途半端な授業では、子どもたちに柔道の魅力を伝えることもできず、非常に残念に思います。
強くなるだけが目標じゃない
柔道で得た経験や考え方が大事
僕が柔道を始めたのは、小学1年生のとき。実家の八百屋のお客さんに柔道の先生がいて、勧められたんです。僕が育った茨城県岩井市(現坂東市)を含む県西部は、とても柔道が盛んで強い道場がたくさんありました。2004年アテネオリンピックで優勝した塚田真希選手や鈴木桂治選手、2012年ロンドンオリンピックに出場した福見友子選手も、みんなこの地域の出身です。そんな環境だったから、自然と鍛えられたのかもしれません。
いざ試合に出ると、みんな強いし、大勢が見ている前で畳に叩きつけられるわけです。もう、負けると恥ずかしくて、悔しくて、情けなくて。とにかく強くなりたい、その一心で真面目に練習を続け、どんなに辛くても必死に練習しました。おかげで我慢強くなりましたね。メダリストになると「やっぱり天才だからね」と言われるんですが、決してそうじゃない。強い人は、みんな辛い練習を積み重ねているんですよ。
もちろん、柔道の最終的な目的は強くなることではありません。それよりも、柔道で得た経験、我慢強さや考え方を他の分野で活かしてほしい。それが、柔道をやる意義だと思います。
たとえば、生活の中で"人のことを投げる"体験はなかなかできません。そして、背負い投げの技を決めることができたら気持ちがいい。でも、柔道では「精力善用」と言って、相手の動きや体重移動を利用して、自分の力を有効に使います。"きれいに投げられるのは、相手の受け身がうまいから"なんです。人と協力しないと、技はきれいに決まらない。柔道の大事な教えです。それがわかると、ますますおもしろくなるんです。
また、試合の前後には上座と対戦者に向かって礼をします。武道には教育としての一面もある。人を育てるうえで大切なことが詰まっているんですよ。
フランスの柔道から
スポーツ教育のあり方を見る
柔道が盛んな国のひとつにフランスがあります。僕も全柔連の教育普及委員をしているときに視察に行きました。道場の登録者数は60万人。登録方法が違うので単純に比較はできませんが、日本の登録者数の4倍で、サッカー、テニスに次ぐ人気競技です。日本で子どもを塾に通わせる感覚で、しつけの一環として道場に通わせます。
柔道連盟も「礼儀」「自制」「友情」といった道徳的要素を積極的にアピールして、他のスポーツと差別化し、指導方法も連盟が教本をつくって国内で統一して進めています。道場単位で活動する日本とは大違いです。さらに、フランスの連盟スタッフはスポーツ庁から出向した国家公務員が勤めていて、まさに国家事業としてスポーツ・柔道の普及に取り組んでいるのです。
ヨーロッパは地域のクラブスポーツも盛んです。自治体や企業が出資してクラブを運営し、プロスポーツの経験者やメダリストが指導にあたります。子どもたちは、そこでさまざまなスポーツを体験し、力のある子は専念する競技を選んでクラブから地区選抜、県選抜、州選抜へと勝ち上がっていきます。
日本でも1995年に「総合型地域スポーツクラブ推進事業」を始めましたが、指導者はボランティアです。スポーツ教育は部活やボランタリーで補うという考えが日本では未だに強いのです。フランスではスポーツ指導者の国家資格があり、資格がないと有償で指導はできません。そのためか、フランスの道場では重篤な事故の報告もほとんど聞きません。このあたりは、日本でも整備していかなくてはいけないと思います。
近年、日本でもスポーツ教育に進出する企業は増えてきました。プロスポーツクラブを保有する東京ヴェルディ株式会社は、サッカーをはじめバスケットボールやバレーボール、ダンスなどのさまざまなスポーツ教室を開いていて、僕も柔道教室を手伝っています。家こうした場を通して、柔道のおもしろさが伝わっていけばと考えています。
オリンピックならではの
多彩な技とお国柄を楽しんで
2020年の東京オリンピックでは、まず、なんといっても日本人選手のキレのいい多彩な技をしっかり見てもらいたいですね。また、長い腕を使って背中を取ってくる欧米や中東の選手や、モンゴル相撲のように相手と密着して力ずくで投げてくるモンゴルの選手、独自に「韓国背負い投げ」と呼ばれる新たな技を編み出した韓国の選手など、お国柄たっぷりの試合を見られるのも、国際大会ならではの楽しみだと思います。
正直に言うと、日本人が勝つのは年々厳しくなっています。本来、柔道は体格に関係なく自由に組める競技でしたから、自分より重量のある相手に勝つために、いろいろな技が編み出された。昔は手で相手の足を持っても良かったんです。しかし、公式ルールで制限されてしまいました。
日本人は「一本」をとれる技術があるので、相手を見ながらじっくり試合を展開させる傾向がありますが、それも現行ルールでは積極的に組みに行かないと「指導」が出ます。指導が3回出れば反則負け。力の弱い日本人は、力の強い外国人とがっちり組んだら不利なので、結果的に無理な体勢で技をかけにいくことになるのです。
日本人選手は、どうしてもメダルを期待されるため、銀メダルを取ってもニコリともしない。それほど"優勝"を背負っています。でも、オリンピックに出るだけでもすごいことなんですよ。そう思って温かく応援していただければと思います。
ちなみに、フランスではデートで柔道観戦に行く人も多いそうです。観客は手を叩いたり歓声を上げたりしてすごく盛り上がる。レクリエーションとして定着しているんですね。日本でも、もっと気軽に楽しく試合を見てほしいなと思います。柔道総本山「講道館」の大道場は自由に見学できるし、時期によっては強い選手も練習をしています。オリンピックの前にぜひ一度、のぞいてみてください。
- 瀧本誠准教授
- 柔道五段。2000年シドニーオリンピック柔道男子81kg級金メダリスト。日本大学文理学部体育学科卒業後、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了。14年駒澤大学総合教育研究部スポーツ・健康科学部門講師。19年同准教授。スポーツマネジメントとスポーツの普及啓発をテーマにメディアなどでも活動。おもな著書に『柔道観戦マニュアル 100%柔道がわかる本』(ベースボール・マガジン社)ほか。