ラボ駅伝

駒澤大学で行われている研究を、リレー形式で紹介する連載メディアです。創造的でユニークな研究を通して見える「駒大の魅力」をお伝えします。

学びのタスキをつなぐ 駒澤大学 ラボ駅伝

第17区 松信ひろみ教授

家族のかたちから見る現代社会

社会が変われば、家族のかたちもかわります。先入観や固定観念に囚われないことが、誰もが幸せになれる第一歩です。

戦後高度経済成長期の日本では、「サラリーマンと専業主婦、子どもは二人」という核家族が一般的になりました。結婚適齢期には9割の人が結婚する「皆婚社会」、世界的にみても離婚が非常に少ない時代でもありました。しかし、1980年代後半から、未婚化・晩婚化、それに伴う少子化が進展し、離婚・再婚も増加しています。近年では、共働き、ひとり親家族ばかりでなく、LGBTカップルも認識されるようになり、家族の多様化が進んでいます。「夫婦関係」に焦点を当てて家族の研究してきた松信先生に、家族のかたちの移り変わりについて伺いました。

女性のキャリアと夫婦間の役割流動化の重要性に気づく女性のキャリアと
夫婦間の役割流動化の重要性に気づく

私の専門は家族社会学とジェンダー論です。とくに夫婦関係を中心に、家族のありかたを探ってきました。
そもそも社会学科に進学したのは、国際関係をはじめとして、高齢者や子どもの問題など広く社会問題に関心があったためです。しかし、社会学科で家族社会学やジェンダー論の講義を受けて、目から鱗が落ちました。日本においても離婚が増加する中で、女性も男性同様に一生涯継続できるキャリアを持つことが必要であるということ、そして、共働きが増加している現在、夫婦で稼ぎ手役割と家事・育児の家庭内役割の両方に同じようにかかわること(役割の流動化)が重要であるというお話を伺いました。このことによって、これまで漠然と考えていた結婚観、家族観が大きく変わりました。

私は、結婚しても専業主婦には絶対なりたくない、結婚しても仕事は続けたいと小さな頃から思っていましたが、女性の一番の役割は「家事・育児」なので、これらに支障のないように「両立」できる仕事を見つけなければいけないと考えていたのです。実際私の周りの友人にもそうした考えの女性も多くいました。

この「女性も男性同様にキャリアを持つべき」「夫婦間の役割流動化が求められる」という見解は、広く女性が知る必要があると考え、まずは自身でより深く追求したいと思うようになりました。

松信ひろみ 教授

夫婦関係の平等性と女性のエンパワーメントをテーマに夫婦関係の平等性と
女性のエンパワーメントをテーマに

大学時代の関心の延長上から、私の研究テーマは一貫して「夫婦関係の平等性」です。近年共働き家族が増加する中で、「家事・育児を夫婦でどのように分担するか」という夫婦間の「役割関係」に関しては、多くの研究者が関心を持って研究に取り組んでいます。私も共働き夫婦の家事・育児分担に関しても「平等性」の一指標として「役割の流動化」に着目して研究を行っていますが、それに加えて「家庭内の決め事を夫と妻のどちらが決めるのか」という夫婦間の「勢力関係」に、より着目して調査研究を行ってきました。

そもそも、旧来(旧民法下)の家族では、家庭内での決め事は、家長である夫が行うべきであるとされてきました。その後、戦後民法改正によって家族が民主化し、女性も家庭内の意思決定に参加するようになったわけですが、現在、女性の意思決定・自己決定というと政治参加などの文脈で語られることが多く(いわゆる女性のエンパワーメントです)、家庭内での意思決定のありかたにはあまり触れられることがありません。

しかし、そうした社会的な場面へ女性が参加し、意思決定を行うためには、まず、家庭の中でそうした意思決定がなされなければ実現しないのです。女性のエンパワーメントの土台となる家庭の中での「意思決定のありかた」、すなわち「勢力関係」への着目は、単に夫婦関係ことだけにとどまらず、女性のエンパワーメントを考える上でも意義のある研究テーマだと考えています。

現代における「家族の個人化」と「家族の多様化」現代における
「家族の個人化」と「家族の多様化」

私が大学生だった1980年代後半の日本では、共働き家族や離婚が増加傾向を見せ始めた頃でした。それ以前の日本、戦後の高度経済成長期の日本は、9割以上の人たちが結婚適齢期で結婚する「皆婚社会」であり、専業主婦とサラリーマン、子どもは二人という核家族(家族社会学では近代家族といいます)が浸透した時代でもありました。
つまり、当時は、結婚することと子どもをもつことは人生において不可欠なことであると位置づけられ、また、結婚するタイミング(適齢期)、家族のありかた(専業主婦とサラリーマン)、そして子どもをもつタイミングと子どもの数も、「他の人と同じであること」が重要でした。ですから、結婚適齢期に恋人がいなければ「お見合い」をしてでも、結婚相手を見つけたわけです(1960年代前半までは、恋愛結婚よりもお見合い結婚のほうが多く見られました)。また、皆婚社会の時代には、結婚が不可欠であったばかりでなく、生涯一度きりのものと考えられていました。

しかし、恋愛結婚が9割以上を占めるようになった現代では、未婚化という、そもそも結婚をしないという傾向がみられるようになりましたし、初めて結婚する年齢も10歳代後半から60歳代以上というようにばらつきが大きくなりました。また、離婚、再婚も増加しています。
現代では、結婚するのかしないのか、するならいつするのか、そして、どのような家族のかたちを形成するのかといった結婚や家族のありかたに関して、必ず他者と同じ「典型的な家族」を求めるのではなく、「自分の意志で選択して決定する」という「家族の個人化」が起こっています。こうした「家族の個人化」が「多様な家族」を生み出しているともいえます。

エンターテイメントとして『万葉集』を楽しむ固定観念を払拭する
「多様な家族」の一つとしての「LGBT家族」

「家族の多様化」には、初婚年齢のばらつきや、共働きか専業主婦か、子どもがいるかいないか、あるいは離婚の結果シングル・ペアレントになるか、再婚でステップ・ファミリーになるかといったことばかりでなく、近年認識が広まってきたLGBT家族も当然含まれます。そして、LGBT家族は、私たちが日常生活においていかに「固定観念」や「先入観」に囚われすぎているかということを気づかせてくれます。

たとえば、子どもを養育している同性カップルを、私たちは異性の家族の基準に基づいて、「お父さん」や「お母さん」が二人いる、あるいは、同性だけれど、「お父さん役」と「お母さん役」をそれぞれ決めているのだろうと考えてしまいます。しかし、実際は家族ごとに多様で、そもそも「父親」「母親」といった「性別」を基準とした親役割にはこだわらないような家族像も見えてきます。

「先入観」に囚われず、社会的事実をありのままに理解すること そして、自分は何ができるのだろうかと考えること「先入観」に囚われず、社会的事実をありのままに理解すること
そして、自分は何ができるのだろうかと考えること

「固定観念」「先入観」を取り払うという意味では、私はもう10年以上前から授業にLGBT当事者の方をゲストスピーカーとしてお呼びして、これまでの経験や思いを語っていただいたり、ゼミで当事者と直接触れ合うような活動を行ったりしています。

授業に当事者の方をお呼びするようになったのは、ジェンダー論の講義の中で、セクシュアル・マイノリティ、すなわちLGBTの方について扱っても、講義だけではどうしても身近な問題として受け入れてもらえない状況が続き、どうすればよいのだろうかと悩んでいたときに、たまたま、知り合いの研究者の方から、当事者の方を紹介していただき、授業で話をしてもらったらどうかと勧められたことがきっかけです。

その効果はてきめんでした。それまでは、授業後にLGBTの方々に対する認識について感想を書いてもらうと、LGBTの方=テレビの中の存在(オネエと呼ばれている方々)、自分たちとは違う「別世界の人」で、自分とは「関係ない」「身近にはいない」人、「特殊な人」という反応が多かったのですが、当事者の方のお話を聞いた後では、「ふつうの人で驚いた」「自分の身近にもいるかもしれないと感じた」といった反応が受講生から返ってきました。「ゲイの人はみんな女性ぽくって、女性言葉を使う人」といったLGBTの方に対する「ふつうの人とは違う人」「自分の身近にはいない人」という「固定観念」が、当事者の方に直接触れ、お話を聞くことで、払拭されたわけです。そして、「固定観念」を払拭することは、「社会的事実」をありのままに理解すること、社会をきちんと理解することに繋がります。

こうしたLGBTの方々とのお付き合いの輪は、その後、その方の知り合いの当事者の方を紹介していただき、またお知り合いを紹介していただきという具合にどんどん広がり、それがゼミとしてのかかわりにも繋がっていきました。その一つが、東京レインボープライドへのかかわりです。

私のゼミでは、やはり10年ほど前から「東京レインボープライド」というLGBT当事者の方の権利主張の祭典に、ある当事者の方のご紹介から一般ボランティアとしてかかわってきました。しかし、せっかくなら社会調査の専門知識と技術を生かしてお手伝いをしたいと考え、5年前から来場者アンケートをボランティアとして実施するようになりました。

2019年TRP集合写真
2019年TRハ?レート?風景
「東京レインボープライド2019」に松信ゼミが参加

加えて、数年前からは渋谷区のLGBTコミュニティスペースの運営ボランティアをはじめとした、LGBT当事者の方の活動を「アライ」(LGBTを理解し、支援しようとする当事者ではない人のこと)として支援する活動にゼミとして取り組むようになりました。
こうしたゼミ活動をきっかけとして、在学中からゼミ活動とは別にアライとしての活動に取り組むゼミ生や、LGBTの方々の課題をテーマとした卒業論文を作成し、当事者の方々が「生きやすい」社会を考えようとするゼミ生、さらには卒業後に自らの仕事を通じてLGBTの方々への理解を広める活動をしようというゼミ生もいます。

こうしたサポート活動を通じたLGBTの方々とのかかわりは、支援そのものだけでなく、先ほどもお話したように、「固定観念」を払拭して、「社会的事実」、「ありのままの現実」を知り、それを理解するという意味で大変重要なことです。そればかりでなく、「社会の中の自分を発見すること」にも繋がります。

「社会の中の自分を発見すること」というのは、社会の中で「自分はどのような存在なのか」、そして「社会の一員としての自分」は、「何ができるのか」「何をしたいのか」を認識するということです。社会のマイノリティの人々の現状を知ることは、翻って、社会の中の自分の存在を考える良い機会を与えてくれます。先ほどの在学中にそして卒業後にLGBTの方々への支援に携わろうとしているゼミ生は、「自分には何ができるのか」と考えた結果がLGBTの方々にかかわる活動だったとも言えるでしょう。

さらに、こうしたLGBTの方々とのかかわりは、私自身の研究への取り組みを見つめなおすきかっけも与えてくれました。

ジェンダーによる生きづらさを感じない社会の実現のためにジェンダーによる生きづらさを
感じない社会の実現のために

一般的にジェンダー問題というと「女性差別にかかわる問題」と捉えられがちで、現在でも多くの方々や研究者がそのような意味で「ジェンダー」という用語を用いています。しかし、「ジェンダー」の本来的意味である「性差にかかわる社会通念」という概念に立ち戻ったとき、1980年代に興ったメンズリブ(男性解放運動)にみられるような男性(差別)問題も再提起するばかりでなく、加えてLBGTの方々の問題も含めた形で考える必要があります。そして、そうした観点に立ったとき、家族や夫婦関係に関しても、従来とは異なった視点から捉えなければいけないことに気づきました。

たとえば、「夫婦」「夫・妻」は「男女」を前提とした用語であり、英語の「couple」や「partner」に相当する日常的に良く使用されている性別を前提としない日本語の用語はありません。「連れ合い」という言葉もありますが、なんとなく、古臭い言い回しですよね。そうした意味で、同性の夫婦を表す言葉が必要だと感じます。また、現代日本では共働き夫婦でも家事・育児負担は多くの場合、妻、母親である女性にかかっています。これが同性のカップルであったらどうなるのか、女性二人のとき、あるいは男性二人のときの家事育児分担や意思決定はどのようになっているのかを調査研究すると、異性の夫婦の不平等を解消する糸口が見えてくるかもしれません。このように同性カップルやLGBT家族の関係のありかたを調査研究することは、従来の異性の夫婦からなる家族の関係を考える上でも新たな視点を提示してくれます。

そして、女性だから、男性だから、LGBTだからという理由で差別や生きづらさを感じることのない社会を実現するためには、私には何ができるのだろうか、私は何をするべきなのか、と研究を通じて常に自問自答しています。多様なジェンダーの共生に向けて、机上に留まらず、身近な一歩から、実践、行動していきたいと考えています。

松信ひろみ 教授

Profile

松信ひろみ教授
1988年、上智大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程単位取得後退学。長岡大学専任講師などを経て、2004年より駒澤大学文学部社会学科教授。夫婦の平等性について勢力の視点から研究するとともに、多様化家族のありかたについても問題提起を行う。おもな著書に『近代家族のゆらぎと新しい家族のかたち 第2版』(編著・八千代出版)、『新版新世紀の家族さがし―おもしろ家族論―』(学文社)など。

次回は 第18区 経済学部 姉歯曉 教授

駒澤大学ラボ駅伝とは・・・
「ラボ」はラボラトリー(laboratory)の略で、研究室という意味を持ちます。駒澤大学で行われている研究を駅伝競走になぞらえ、リレー形式で紹介する連載メディアです。創造的でユニークな研究を通して見える「駒大の魅力」をお伝えします。

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