若い人にこそ、海外で仕事をしてほしい
SETTSU CARTON VIETNAM CORPORATION 副社長
浜田 昭彦さん
- SETTSU CARTON VIETNAM CORPORATION 副社長
浜田 昭彦さん - 鳥取県出身。1987年法学部政治学科卒業。在学時に應援指導部第9代代表を務めた。セッツ株式会社(現セッツカートン株式会社)入社。2013年10月にベトナムに転勤し、翌月SETTSU CARTON VIETNAM CORPORATION設立。翌年10月より工場稼働。現DEPUTY GENERAL DIRECTOR(副社長)。
段ボールのトップメーカーに勤め、ベトナム工場を立ち上げた浜田さんに、赴任先のホーチミンからインタビューに答えていただきました。
どのような学生生活でしたか。
当時、社会主義のソ連は破綻寸前、中東ではイラン・イラク紛争、インドではガンジー首相の暗殺など、世界情勢は混沌としていました。高校の授業が追いつかないほど早い世界の動きに関心を持ち、政治学科に進学しました。
大学では應援指導部ブルーペガサスに入り、学生生活は応援一色。駒大野球部は黄金期でした。所属した小堀訓男ゼミ(本学名誉教授。専門は国際政治学。)では中東地域を研究し、ゼミ発表と神宮での試合が重なったときは、一睡もしないまま応援して3回くらい気を失いかけました(笑)。ゼミの仲間たちもよく神宮に来てくれました。私の「学生注目!」のお笑いネタが楽しみだったようです。
なぜ今の会社に就職したのですか。
セッツカートンの前身はセッツ株式会社(1999年レンゴーと合併後社名変更)といって一部上場の紙・段ボール産業界では当時無借金の優良企業でした。紙産業は一見地味ですが、文化のバロメーターとも言われ、興味があったんです。今となっては笑い話ですが、内定後「浜田くんの故郷に近いかわいい子がいて、総務が責任もって紹介するから」と言われ、それが今の奥さんとの出会いになりました。
仕事は営業一筋でした。例えばお菓子メーカー、ハムメーカー、電機メーカー等の方と直接面談し、希望に沿って製造します。その場でサンプル作成することや海外でプレゼンすることもありました。自分が携わった企業の新商品が店頭に並ぶこともあり、その緊張感、期待感、達成感は営業の醍醐味ですね。
逆に大失敗もあります。新人の頃、打ち合わせが不十分で、製造したものが丸々不合格になってしまったんです。損害額は私の初任給の2倍。それ以来、細心の注意を払うようになりました。
ベトナムに赴任したきっかけは?
2013年にホーチミンへの進出が決まり、工場立ち上げを任ぜられました。2年間程毎月のようにシンガポール出張していた頃で、世の中は円高基調が続き、各メーカーの海外進出が本格化していました。元々頻繁に海外出張していたことに加え、浜田なら慣れない飯も平気だろうし、ベトナム顔だからという理由で切符を渡されたんだと思います(笑)。まあ会社としては、バイタリティーがある人物を選んだということでしょうか。
会社設立にあたり、現地で他社のデスクを間借りさせてもらい、毎日のようにベトナムの習慣から経済までレクチャーを受けました。温かな助けに恵まれたことに、今も感謝しています。一番苦労した点は、自社工場がまだ稼働していないにもかかわらず、ベトナムローカル段ボール企業にお願いし、段ボール供給を開始したことですね。
現在は約90人のベトナム人とともに働いています。心が通じ合っていると思っていても、それは経営者サイドの一方的な願いであって、彼らは他に好条件が見つかると辞めていきます。楽に稼ぎたい若者も多いため、労務問題に苦心しています。各人のスキル表を作って根気強く説明したり、社のビジョンや本人への期待度を具体的に伝えるようにしていますね。2年経ってようやく彼らも日本人の考え方を理解してきたように感じます。
休日のリフレッシュ法は、ゴルフと食巡り。ホーチミンのレストラン数は世界一かというくらい多いですよ。新しいお店ができると日本人同士で教え合い評価します。肉料理、魚料理、麺料理、鍋料理、なんでもあります。大半は仏教徒のため宗教上の制約はない国です。
大学駅伝には今も応援に駆けつけていると伺いました。
大学三大駅伝は、出雲・全日本・箱根ですが、実は島根県の「出雲駅伝」での各大学の応援合戦の仕掛け人は私なんです。今から20年前、私の故郷に近い出雲でも、箱根並みの大学応援ができたらという思いがあり、大会関係者の方や同窓会・OBなどに働きかけ、最初は神奈川大学と駒大2校で始まりました。出雲で駒大が異常に人気があるのは、これに端を発しています。
島根県同窓会の立場としてはブルーペガサスを受け入れるのも大変で、全国の選手役員がすでに宿を確保している中、応援部員分の宿を探し食事を提供するのは一苦労だったと思います。当初は一軒一軒同窓会の方々がOB宅を廻ってカンパしていただいたと記憶しています。
この大学応援が11月に愛知県・三重県で行われる「全日本駅伝」に波及することになります。出雲駅伝から3年遅れで全日本駅伝も応援合戦が始まり、その後10年近く経過した頃から三重県民の皆さまへのお礼として、小中学校での応援慰問(演技披露)が始まります。応援を通して、差別のない、心を一つにできる学校づくりをテーマに、地域の先生方や三重県同窓会の協力のもと、応援演技・指導を行っています。これも我々OBが主体となって行う大切な行事になっています。
現役のブルーペガサス部員ともよく話をしますが、世代を超えて同じ「母校愛」を共有していると感じています。私にとって自慢の息子・娘たちです。
学生にアドバイスをお願いします。
同じ意志を持って集まった仲間でも考え方は違います。組織をまとめあげるのは非常に大変なことです。社会人になってもこの問題はついて回ります。時には相手の話を聞き、時には自ら火の中に飛び込むことも必要です。
私は48歳での海外赴任でしたが、もう少し若い頃に経験しておけば良かったと思います。海外にいると、日本の若手社員は会社ルールに縛られ個人の魅力が失われている気がします。海外勤務希望を募っていたら是非手を挙げたらいかがでしょうか。就職面接でも海外勤務を積極的にアピールしてほしいですし、いっそ海外で就職する手もありますよ。
ベトナムでは就職活動に期間、期限はありませんし、語学が堪能でなくても何とかなります。日本人にはとてもやさしい国ですから。
私も、今後の夢であるミャンマー工場稼働に向け、奮闘していきます。
※ 本インタビューは『学園通信324号』(2016年10月発行)に掲載しています。発行当時の内容に一部エピソードを加えています。