参加者が肌で感じられるライブのキャリア教育を
株式会社ハッピーアロー代表 森 順子 さん
- 株式会社ハッピーアロー代表 森 順子 さん
- 千葉県出身。2002年文学部地理学科卒業。岩手朝日テレビ、テレビ北海道で勤めたのち、専門学校講師を経て、14年札幌市で(株)ハッピーアロー設立。教育コンシェルジュ・ビジネスコーチ・フリーアナウンサーとして活躍しながら、2014年には書籍『現役アナウンサーが教える飲ミュニケーションの極意 幹事力!』を出版。
テレビ局アナウンサーから企業の代表取締役へ。起業してなお学び続ける森さんに、挑戦する楽しさを語っていただきました。
なぜ駒澤大学に進学したのですか?
元々旅行など地理に興味があり、高校の先生に地理学科を勧められたのがきっかけです。大学で特に好きだったのは「巡検(フィールドワーク)」です。等々力渓谷や国分寺崖線などを見て、歴女(れきじょ)ならぬ地理女(ちりじょ)の友人たちと盛り上がっていました(笑)。
また、ゼミで中村和郎先生(本学名誉教授/専門は地理学)のもと自由に研究させていただいたことで、主体性が身についたと感じています。
アナウンサーを志したきっかけは?
TBSの「世界ふしぎ発見!」が大好きで、ミステリーハンターになりたい!と思ったんです。しかしそのためにはタレントになってオーディションを受けるという長い道のりが必要で、自分には無理だと思いました。そんなとき友人から「アナウンサーも旅番組で同じようなことできるんじゃない?」と言われて納得したんです。意外と単純でしたね(笑)。採用試験は狭き門で40社くらい受験し、アルバイト代と奨学金がほとんど交通費に消えました。内定が決まったときは、とにかく嬉しかったです!
岩手朝日テレビでの主な仕事は?
情報番組の司会から高校野球のベンチリポートまであらゆる分野を担当しました。画面から伝える難しさを感じつつも、街で「いつも見てるよ」と声をかけられるたびに、「頑張ろう!」と思いました。
地方局は人材が少なく、ひとりで何役も担います。私は記者も兼務でしたので、毎日取材に行って原稿を書き、それを自分で読んでいました。警察担当記者のため夜中でも起こされました。大変でしたが、スクープ取材で「報道ステーション」に取り上げられたり表彰されたりしたことがやりがいに繋がりました。
転身しての起業は大きな決断ですね。
岩手朝日テレビ、テレビ北海道でアナウンサーを務めたあと、「直接伝える」仕事がしたくて専門学校の講師になりました。そこで教育の大切さに気づき、いつか人間力を高めるような塾を開きたいと起業を決めました。個人より法人の方が大きな挑戦ができると考えたからです。経営知識がなかったので、今までの人脈を活かして税理士など様々な方からアドバイスをいただきました。現在は、キャリア教育講師や、学校と企業や地域を繋ぐキャリア教育コーディネーター、企業研修講師などをしています。大事にしているのは「ライブ」です。直接相手の反応を肌で感じ、ニーズに応えて、それを参加者が実感できるよう日々取り組んでいます。
起業を決めた矢先、大学院(教育学)への進学も決めました。当時息子はまだ1歳で、さらに入学の2か月前に起業という時期でしたが、「教育で貢献する」という信念のもと、やってみよう思いました。やらないよりは、やって後悔した方がいいですから。大学院では留学生や社会人、若い学生の皆さんから大きな刺激を受けました。仕事と研究の両立でほとんど休み無しでしたが、その学びが仕事のベースになっています。
学生に伝えたいことはありますか。
大学での巡検の経験が、今の行動力に活きています。アルバイトで4年間接客業をしたこともマナーの勉強になりました。挫折したときは、そんな自分を認めて、反動力で「やってやる!」と前進してきました。失敗は新たなチャレンジのチャンスです。
皆さんには、是非たくさんの人と交流をしてほしいです。人によって価値観は様々なので、新しい観点をもらうことができます。また、学生時代に何かひとつ好きなことに熱中してみてください。私は「地理」という揺るぎないものがありました。そこから、ミステリーハンターはダメだったけれどアナウンサーの道が開け、今は大学生に地理も教えています。もしかしたらこれからキャビンアテンダントになれるかもしれません(笑)。つまり、ひとつ軸になるものがあれば、その先が見えてくるのです。是非一度しかない自分の人生を自分次第で創っていってくださいね。
株式会社ハッピーアロー ホームぺージ
所在地:北海道札幌市豊平区
※ 本インタビューは『学園通信323号』(2016年7月発行)に掲載しています。掲載内容は発行当時のものです。