教職ゼミから千人を超える教員を輩出 ゼミ生との交流は今も続く
谷敷 正光 名誉教授
中高の教員になりたかった夢を若い後輩たちに託す
駒澤大学での43年にわたる教員生活で思い出すのは多くのゼミ生との出会いです。
学生時代は中・高校の教員になるつもりで猛勉強し、教員採用試験にも合格したのですが、研究にも魅力を感じており指導教授の勧めで大学院に進み大学の教員になりました。
講師になってすぐの授業で、「教職の試験を受ける人はいるか?」と聞くと、何人かの学生が手を挙げました。そこで私が教職を受験したときのノウハウを学生にアドバイスしたのですが、当時は教員になるのが非常に難しい時代で、一生懸命教えたけれど受かる人はいなかったのです。それがとてもショックで、何とかしなければと立ち上げたのが教職ゼミでした。
とにかく勉強しないとだめだと、毎日夜中の12時ごろまで学生と勉強会を開きました。今のように問題集や参考書がない時代ですから手探りの勉強です。その結果20人ぐらいのゼミ生のうち、半分の10人が公立学校の教員採用試験に合格しました。受かるとわかれば学生の期待も高まって、あっという間に40~50人のゼミになりました。
10年経つころには、中・高では教員採用試験に実績のある国立、私立の有力大学を凌駕するまでの結果を残すようになったのです。
学生たちによく言っていたのは、「この県にこの教師あり」と言われるほどの先生になりなさい、ということ。誰も発想しないような特色のある優れた教育実践をしている先生を駒澤大学からたくさん輩出しています。
たとえ今は小さくても、君が一流会社にすればいい
経済学部の正課ゼミでは、とにかく合宿を重ねました。夏、冬、春のほかに、4年生は就職試験の直前にも合宿して、年に4回もやりました。勉強もしますが夜通し話してコミュニケーションも深めました。私は夜中に布団をかけて回る役でした。一緒にスポーツもやりました。語り合い、勉強するから、仲良くもなるし、人間的にも成長していきます。
思い起こせば、昔は駒澤大学のような中堅大学からは一部上場の大企業にはなかなか入れない時代でした。悔し涙を流す学生もいて、私も悔しい思いをしました。そのときも私は言ったのです。
「今は小さな会社でも、君が一流会社にすればいい。社長になればいいじゃないか」
その後、本当にそうなりました。最近、正課ゼミの学生だった人たちの会合に参加したら、小さな会社が大きくなって、みんなそこの取締役とか部長になっているし、昔は絶対に入れなかったような大企業の部長も大勢います。駒澤大学に43年もいましたから、早い時期に教えた学生はもう定年です。つまり、私は結果を見ているんです。私が言ったことは単なる夢物語ではなかったということを、彼らが証明してくれています。
紡績会社に高等女学校が開校 埋もれた資料を発掘して研究
研究の面では、教育経済学の分野を立ち上げ、近代産業が勃興する時代の経済発達史と人材育成をテーマに研究を続けました。コツコツと論文を書きためて、2015年に『戦前期綿糸紡績業における女学校の成立』(創成社)と題する著書を上梓しました。
戦前の綿糸紡績会社では工場内に高等女学校を開校し、有用な人材を育ててきた歴史があります。しかし、当時の資料は全く残っておらず、どこの会社にどういう学校があったかも不明なことが多かったのですが、埋もれた資料を発掘して調べた結果わかったことが数多くあります。今後もこの研究をさらに深めていきたいですね。
- 谷敷 正光 名誉教授
- 1946年北海道生まれ。68年駒澤大学経済学部経済学科卒業。70年同大学院経済学研究科修士課程修了。73年博士課程満期退学。同大学経済学部助手、講師、助教授を経て2003年に教授。16年定年退職。専門は教育経済学。近現代日本産業・経済発達史と人材育成がテーマ。
※ 本インタビューは『Link Vol.7』(2017年5月発行)に掲載しています。掲載内容は発行当時のものです。