『正法眼蔵』の真髄に迫ろうと選んだ天台教学
池田 魯參 名誉教授
「勉強するなら天台教学を」と恩師・鎌田教授の言葉
高校、大学のころは理屈をこねるのが好きな哲学青年で、大学の卒業論文のテーマに選んだのが『正法眼蔵』の「有時(うじ)」の巻でした。すると論文を読んだ指導教授の増永霊鳳先生からこう言われました。
「こういう論文を書くのなら大学院でもうちょっと深く勉強したらいい」
それで大学院に入って『正法眼蔵』を研究するつもりでいたら、中国仏教研究の泰斗である鎌田茂雄先生がこうおっしゃるのです。
「大学院で勉強するには今までのような勉強ではだめだ。道元禅師が若いときに学んだ比叡山の学問をやらなければいけない。自分は華厳教学をやっているので、きみは天台教学をやりなさい」
鎌田先生は駒澤大学を卒業して東大教授になられた方で、当時、私が所属していた弁論部の顧問を務めておられました。これが私が中国の天台教学を研究するようになったきっかけです。
10年がんばれとの励ましで続けた「わからない日々」
天台教学は隋の煬帝(ようだい)のころ、天台智者大師と称する智顗(ちぎ)が『妙法蓮華経』をベースにして大成させた仏教学です。智顗が講述した『法華玄義(げんぎ)』『法華文句(もんぐ)』『摩訶止観(まかしかん)』のいわゆる「天台三大部」のうち、まず取り組んだのが修行の理論書である『摩訶止観』です。
「止観」とは静まった心で世界を観察するという意味で、坐禅を説明する際に「調身、調息、調心」すなわち姿勢と呼吸、心を整えよと、必ず「天台止観」の定義が出てくるほど重要な書です。道元禅師が「只管打坐(しかんたざ)」を提唱するには、従来の止観の伝統からさらに飛躍する必要があったので、止観の系譜をたどることは大きな意味があります。
しかし、はじめの10年ぐらいは何もわかりませんでした。何がおもしろいのか、どこに重要な意味があるのか、皆目わからない。鎌田先生は「10年がんばりなさい」と励ましてくださり、敬愛する先生のおっしゃることだからと研究を続けるうち、本当に10年ぐらいしたらポツポツわかるようになってきました。そして、ひとつわかると「あ、これもそうだ、あれもそうだ」と網目のように広がっていく。これがまた、研究の醍醐味でもあるのです。
これと同じで、私たちは日常生活でさまざまなことを経験しますが、それはすべて自分の勉強や成長に繋がっていくんですね。
現在、取り組んでいるのは天台教学をベースにした道元禅師の『正法眼蔵』の研究や、總持寺の御開山瑩山(けいざん)禅師が説述された『伝光録』の研究です。
道元禅師については研究者がたくさんいますが、瑩山禅師の研究者は非常に少ないのです。そこで總持寺で、『伝光録』を学び修行する「伝光会攝心(でんこうえせっしん)」に、4年前から講師の一人として参加しています。一般の方も含め200人近い若い雲水たちと、泊まり込みで朝3時半に起きて僧堂で坐禅を行い、そのあと午前と午後の2回に分けて『伝光録』の講義を行い、これを5日間続けます。今年も6月に行われ、私も参加します。
総長としてのモットーは素直で柔らかい心
2013年には総長に就任しました。代々の総長の名誉を傷つけることがないよう、常に襟を正しております。
『妙法蓮華経』の『如来寿量品(にょらいじゅりょうぼん)』というお経の中に「質直意柔軟(しつじきいにゅうなん)」という言葉があります。質直とは素直なという意味であり、意柔軟とはしなやかに柔らかに、あらゆるものに水のように行き渡り、あらゆるものを拒まない心をいいます。
道元禅師も「坐禅の功徳は柔軟心(にゅうなんしん)であって、柔軟心が湧いてこないような坐禅はやめたほうがいい」と言っています。どんな状況下でも、どんな人と出会っても柔らかに対応できる心が大事だということです。
ですから私も、「質直意柔軟」をモットーに、建学の理念を正しい形で社会に発信していきたいと、日々工夫しております。
- 池田 魯參 名誉教授
- 1941年長野県生まれ。64年駒澤大学仏教学部禅学科卒業。69年同大学院博士後期課程満期退学。講師、助教授を経て83年より仏教学部教授。禅文化歴史博物館館長等歴任。2012年定年、同大学名誉教授。13年より同大学総長。77年日本印度学仏教学会賞受賞。専門は中国仏教・天台教学思想・道元学。
※ 本インタビューは『Link Vol.6』(2016年5月発行)に掲載しています。掲載内容は発行当時のものです。