第98回箱根駅伝インタビュー【復路メンバー】
第98回東京箱根間往復大学駅伝競走が1月2・3日、大手町~芦ノ湖~大手町の10 区間、217.1kmで行われた。総合成績3位という順位で幕を閉じた今大会は、箱根路を駆け抜けた選手たちの瞳にはどう映っていたのであろうか。1月下旬、オンライン形式にて各選手にインタビューを行った。
今回は、復路を走った佃康平選手、白鳥哲汰選手、鈴木芽吹選手、山野力選手、青柿響選手へのインタビューを紹介する。(前回は往路編)
佃選手の特集を4years.で紹介中!
★佃康平選手の特集を4years.様に寄稿いたしました。こちらもあわせてご覧ください。(https://4years.asahi.com/article/14554549)
◆6区・佃康平(法4)
――当日の調子は
「まあまあという感じ。前回の方が調整段階は自信があった。今回は全日本を走ってから調子が悪くなってしまって、12月に入ってから良くなってきた。少しだけ不安はあったが、当日は自信をもって走れた」
――走る前はどのようなことを考えていたか
「4年生で最後なので、全力で走りきろうということだけを考えて走っていた」
――レースプランは
「自分は登りが得意だったので、最初の5kmの登りで先頭と詰めて、下りで粘れればいいなと思っていたが、実際は登りが結構きつくて思うように体が動かなかった。下りのほうで割り切って動かすしかないと思って、動かすことができてよかった」
――山を下ることに自信はあったか
「道にあるような坂で練習はしていたが、がっつり下りの練習をしたというのはあまりなかった。得意なのか不得意なのか分からないまま当日走った。それが逆に良かったもしれない」
――6区を任されると知ったときは
「6区の候補の選手たちの調子があまり良くなくて、結構チーム状況的にもかつかつだった。それでも自分が任された区間は4年生として責任があるので、どこでも区間賞を狙う走りをするのはずっと決めていた。それが5区でも6区でも、8区でもどこでもいけるような準備はずっとしていた」
――前回の箱根の6区は同学年の花崎悠紀(市4)選手が走ったが、何か参考にしたか
「花崎のタイムが速かったので、そこまではいかなくても、それを少し基準として自分の目標ペースを作った」
――最後の箱根はどういう思いで走ったか
「まず今年1年間、4年生としてチームにたくさん迷惑をかけてしまったこともあるので、最後くらいは(4年生としての)責任みたいなものを後輩たちに感じてもらおうと思った。あとは支えてくれた家族、監督、コーチに感謝を込めて走ろうと思った」
――自身の走りを振り返って
「その日出せる100%はできたと思う。最初の登りと最後の平地で先頭と差を詰め切れなかったので少し悔しさがあるが、その日出せる100%は出せたので悔いはない」
――全日本のあとに「箱根ではやりきったと言える走りがしたい」と言っていたが、納得いく走りができたということか
「そう。最後の箱根で悔いが残る走りはしたくないと1年間決めていたので、それができた」
――走っているときに監督からどのような声がけがあったか
「4年生で最後のレースだぞというのが聞こえた」
――付き添いの選手は
「篠原倖太朗(地1)」
――どんな話をしたか
「結構細かいことも笑ってくれるので、とてもリラックスしてレースに臨むことができた」
――3位という結果については
「優勝を目指していたので悔しい気持ちはあるが、なかなか上手くチーム状況がまとまらない中でも、皆がしっかりタスキをつなげるという強い意志を感じる走りができたと思う。この3位が来年の目標の3冠につながる経験になればそれが1番かなと思う」
――エントリーされていた同学年の新矢連士(市4)とは何か話をしたか
「スタート前に電話をした。いつも通りの感じで、すごい言葉とかはなかったが、頑張ってねという感じ。普段通り」
――この4年生の1年間で特に力になったと思う言葉や周りの行動はあるか
「4年生になって結構後輩たちのことを良く見るようになったので、後輩たちがレースや記録会で記録を出すのが自分の刺激になったし、嬉しかった。調子の悪かった人たちが秋以降に結果が出ているのは、本当に努力していたんだなというのが分かるので、自分としては良い刺激になった」
――次期主将の山野力選手(市3)はどのような人か
「自分たちからしたら可愛い後輩だが、同学年や後輩の子たちからしたら遠慮せず言うときはがつがつ言う子なので、メリハリはあるほうだと思う」
――そんな山野選手に期待していること、楽しみにしていることは
「今2年生が強い世代で、今年の箱根でも7人くらいが走ったが、駅伝では上級生がしっかり走らないと優勝は難しくなる。田澤はいるが、田澤だけじゃなくて次の4年生が皆まとまってやらないと優勝は難しいので、チームまとめていってほしい」
――佃選手の駒大での4年間と、これまでの陸上人生を振り返って
「駒大に入ってからは、最初は陸上としての競技力も人間としての人間力もなくて、何も持たずに入ってきた。それでも2、3、4年生となるにつれて競技力もついてきて、人間性も高くなってきて、3年目では箱根優勝する経験もできた。ずっと充実していたわけではないが、全体を通して見たら充実した4年間だったと思う。陸上人生としては、本当は陸上が好きではなくてやらされていたが、走っているうちに楽しくなったりした。続けさせてくれた人たちには本当に感謝している」
――「人間力」と話があったが、何か大きく得た物はなにか
「上下関係が厳しいときもあったので、礼儀や気の配り方、コミュニケーションの取り方は1、2年目でたたき込まれた。社会に出てもそれは一生役立つと思うので、そういうのを生かして頑張りたい」
――4年間一緒に練習した同期について
「今いる4年生はずっと支えながら1年生のときからやってきた。なかなか実績がなく結果も出なかったが、それでもチームのために4年生として走らないといけない苦しい状況が続いた。皆が手を取り合って最後の箱根までたどり着けて終えることができたので、4年間ありがとうございましたと伝えたい」
――最後に、これからの駒大の後輩へのメッセージと、ファンの方々へメッセージを
「後輩たちは、自分たちがいなくなったとしても十分戦っていけるチーム。来年以降は今年達成できなかった3冠を、もっともっと一人ひとりが意識を高くもって、目標を常に見据えてやっていかないと、今年わかったようにそう甘くはない。意識を高めてチームを一つにしていってくれたらと思う。ファンの方へは、自分たちがそんなに強くない世代という中でずっと応援してくれて、箱根でも自分の走る姿を見せることができて良かった。4年間応援し続けてくれてありがとうございました」
◆7区・白鳥哲汰(経2)
――自分が7区を走ると知ったときの心境は
「7区を走ると分かったのは、事前から(知らされていた)というよりは直前のことだった。いつでもいける準備はしていたが、1年生で1区を走ったときよりは急だったので少し焦った」
――当日の調子は
「怪我があって長い期間練習できていなかったが、直近の1ヶ月は良い練習ができていたので、最低限のレベルでは走れる自身があった」
――当日、走る前はどのようなことを考えていたか
「6区が佃さんで、間違いなく良い位置で来ると考えていた。前日の結果から青学大が前にいる位置でスタートすることは分かっていたので、いかに詰められるかということを考えていた」
――自身の走りについて振り返ると
「1年生、2年生と情けない走りをしてしまって、課題しか残らず、流れも止めてしまって申し訳ないと思った。昨年はけがが多くて走っていない期間があって、その中で1日1日の練習の大切さを身にしみて感じたので、あたりまえのことをやらないと大きな大会で実力は発揮できないのだと感じた」
――走っているときに声がけはあったか
「OBの方々の選手のペースと照らし合わせて、『こういうペースだから落ち着いていけ』のように言われた」
――走ったあとは何か言われたか
「まだまだ課題があるな、と言われた。走ったあとすぐ何か言われたわけではなく、寮に戻ってから『この1年しっかり練習しないとだめだぞ』と」
――付き添いの選手と、給水の選手は
「付き添いは大西峻平(経4)さんと、給水はマネージャーの片岡龍聖(法2)と、新矢連士(市4)さん。付き添いも給水も4年生がしてくださって、そういう部分で付き添いの時から感じるものがあった。給水の時も、自分が後輩という立場で走らせて頂いているにも関わらずサポートしてくださって、ありがたいと思った」
――全体で3位という結果については
「アクシデントが多い状況下で3番というのは良かったと感じるが、やはり自分などチームの中でも納得のいく走りができなかった選手がもう少しちゃんと走っていれば、青学大との差も詰められたと思うし、順大に先を行かれることはなかったと思う。(鈴木)芽吹や田澤(廉)さん、唐澤(拓海)の3本柱と呼ばれた人たちに無理をさせすぎて、自分たちが穴をつくってしまった。3冠を目標とした中で箱根はしっかり撮ろうと言っていたので、取れなかったのは非常に悔しい」
――今回見つかった、白鳥選手自身の課題は
「1日1日の練習に対する意識。昨年は1年生のときに走れていたので少し楽観的に考えすぎてしまった。そういう甘さがけがにつながって、練習が試合に直結するというのを痛感したので、練習1回1回の大切さや緊張感を見直して、自分に何が足りていないかを考えながら過ごしていきたい」
――前回の箱根は1区を走ったのに対して、今回の7区は
「陸上を始めてからずっと1区を走っていて、今回初めて中間の区間を担った。それでも手応えというか、非常に大きく崩れたわけでもなかったので、悪い部分だけではなかったと思う」
――1区を走った1年生の時と比べて、自分の走りはどう変わったか
「基礎の部分は1年経ったのもあって向上している部分はあったが、けがをしていた期間があっただけに、普通ならもう少し走れていたような部分が足りなかった。成長も少なからず感じたが、課題のほうが多く見つかった」
――2年生の1年間で、力になった言葉や周りの行動はあったか
「スポーツ選手にとってのけがはメンタルが大きく削られるが、そこで気持ちの整え方だったり、周りの気配りだったりがあった。寮内に強い選手がいるにも関わらずそれを見て取ることができなかったが、練習ができるようになってからは『田澤さんがやっていることを少しずつまねできれば間違いなく成長できる』と落ち着いて考えられるようになった」
――来年度の目標は
「来年は3年生になりもちろん優勝を狙いたいが、自分たちの代は4年生でも総合優勝して終わろうと決めているので4年目も見据えて練習をしていきたい」
◆8区・鈴木芽吹(営2)
――自身が8区を任されると知った時の心境は
「9月に疲労骨折をしてしまい、11月のちょうど全日本が終わったあたりから再び走り始めて、箱根にギリギリ間に合うかなという感じの練習状況だった。12月中旬にもまた別の場所を痛めてしまい、その影響で1週間ほど練習を休んでいた期間もあった。その影響で調整が直前になってしまったので、箱根は走れるか走れないか本当に分からなかった。ギリギリでエントリーメンバーに選ばれたので、自分的にはあまり高望みはせずに、最低限の走りができれば良いと考えていた」
――当日の調子は
「調整が全然ちゃんとできていなかったので、調子が良いとは言えなかった。それでも、やれることはやってきたので、しっかり走れるかなとは思っていた」
――レースプランは
「8区は15km過ぎに遊行寺の坂があり、そこが大きなポイントとなる。遊行寺の坂までは余裕を持って走り、15km以降にはペースは上げられなくても失速はしないように走ろうと考えていた」
――自身の走りを振り返ると
「10km地点くらいまでは良い感じで走れていたが、12月に痛めた部分が10km以降で痛み始め、力が入らなくなってきた。15kmくらいでは本当に痛くて、最後は歩くようなペースで走っていた。悔しい気持ちが強いが、ラスト3kmでは止まることも頭の中によぎっていた。今考えると本当に怖いなと思うが、そういう中で走り切れたのは良かったと思っている」
――総合結果の3位という順位についてはどう考えているか
「チームとしては優勝を目標にしていた中で、3位になってしまった。正直、万全な状態で走れていたとしても、今回優勝した青学大には勝てなかったのではないかと思う。ただ、2位の順大には絶対に勝てたと思うので、2位まではいけたという悔しさはある」
――万全な状態でも青学大には勝てなかったということから、チームや個人で見つかった課題などはあるか
「箱根駅伝は大事な大会ではあるが、田澤さんや自分、他の選手にとっても、箱根がすべてではない。それぞれトラックやロードレース、ハーフマラソンでの記録など、色々と目指しているものがあるので、必ずしも箱根に調子を合わせられるわけではないと思う。それでも箱根に向けて、完璧ではなくてもどれだけ調子を合わせられるかということが求められていると思うし、全体的にもう少しスタミナをつけないといけないと感じた」
――走っている時に監督からどのような声かけがあったか
「青学大とは4分くらい差がついていたので、それを少しでも縮めようということだったが、僕の足が痛くなってしまっていた時には、とにかく『頑張れ』と言われていた」
――付き添いや給水は誰だったか
「付き添いは服部(和空・G2)。給水は10km地点が小牧(波亜斗・現1)で、15km地点が赤星(雄斗・法2)だった」
――5区の金子伊吹選手がレース前に「芽吹だけじゃなくて伊吹もいます」とコメントをされていたが、金子選手の走りはどう見ていたか
「5区は自分も前回走っているので、すごくキツさは分かる。金子の走りというのはキツさに負けない気持ちのこもった走りで、自分だけじゃなくてチーム全体を活気づける走りだったと思う」
――箱根前のコマスポで陸上部の方々にアンケートを取った際、仲良しコンビのランキングで鈴木選手と青柿(響)選手が圧倒的な票数(14票)で1位になっていたが、青柿選手の10区での走りはどう見ていたか
「自分が走り終わった後、寮にすぐ帰ってきて、自分の部屋のテレビで青柿の走りを見ていた。自分は順位をかなり下げてしまっていたので、9区の山野(力)さんと青柿に対しては本当に感謝しかない。監督も常に『優勝を狙って、最低でも3位以内』ということはよく言うので、3位という所を山野さんと青柿で守ってくれたということに感謝している」
――鈴木選手にとって、青柿選手はどんな存在か
「難しい(笑)。割と一緒にはいますけど、あんなに票を集めるとは思っていなかった。でも、青柿がいないとちょっと寂しいですね(笑)」
――来年度の目標は
「個人としては、怪我がなければ自分も田澤さんと一緒に世界陸上の1万mの標準記録は切りたいと思っていた。今はこういう状況になってしまい、不可能に近いくらいではあるが、やはり5月の日本選手権で標準突破を狙いたいと思っている。もし無理だったとしても、後悔のないように5月まで過ごしていきたい。チームとしては、今年こそ3冠を獲りたい。今回はひとつもチームに貢献できていないので、3つすべて自分が貢献して、3冠を獲りたいと思っている」
◆9区・山野力(市3)
――自身が2年連続で9区を任されると知った時の心境は
「夏ごろには『今年も9区行くぞ』と(監督から)言われていた。自分も去年のリベンジをするつもりでいたので、去年よりも良いタイムで走ろうと思っていた」
――当日の調子は
「昨年11月の始めくらいまで怪我をしていて、11月中旬から本格的に練習を再開した。少し練習面での不安はあったが、やるしかないというように気持ちを切り替えて、当日はスタートラインに立った」
――レースプランは
「タスキをもらった位置が6番だったが、前も見えていたので、とりあえず前に見えている3人は抜かす気持ちで最初から追いかけた」
――自身の走りについて今振り返ると
「ゴールしてタイムを見たら68分台で走っていて、自分なりに結構良かったと思った。でも、改めて同じ区間を走った人たちのタイムを見たら上には上がいたので、自分はまだまだだと感じた」
――走っている時に監督からはどのような声かけがあったか
「『前をもう追うしかないぞ』みたいな感じで、1人抜いても『もっと前だ!』と言われた。とにかく『前に行け!』という感じでしか言われなかった」
――付き添いや給水は誰だったか
「付き添いは宮内(斗輝・法3)で、10km地点の給水は昨年度の主務の青山(尚大)さん(21年卒)。15km地点の給水は円(健介・仏3)」
――その際に何か言葉は交わしたか
「去年自分が創価大と1分半の差でタスキをもらったあと、3分19秒差まで開いてしまった。それを青山さんは給水の時に『3分19』みたいな感じでいじってきた」
――総合結果の3位という順位についてはどう考えているか
「もし3位以内に入れていなかったら、注目していただいている大学として情けない結果に終わっていたと思う。自分と青柿で最後は3位まで持って行くことができ、最低限の順位で抑えることができたと思う」
――今大会を経て、チームで見つかった課題は
「チームとしては、積極性というか、1人で走るという面に関してまだまだ力がついていないというのが分かったので、スタミナの面も通して課題が見つかった。今年一年は去年以上に、みんなでスタミナ作りというのを最初からやっていきたいと思っている」
――田澤選手から引き継いで新主将となるが、主将を任されると知った時の心境は
「主将になることは、朝練習の時に急に言われて決まった。主将になったからには責任を持ちたい。今年は田澤が4年になり、1個下の学年も3年生になって上級生となる。新入生も強い選手が入ってくるので、ここ最近の駒澤では一番強いチームになるのではないかと思う。そこを自分がうまくまとめて、今年は3冠という目標を達成したい」
――副主将となる円健介選手はどのような人物か。どのように支え合っていきたいか
「円は消去法で(副主将に)選んだみたいな感じ(笑)。それは冗談だけど、円は自分たちの学年でも一番真面目というくらい真面目。頼りにしている部分もあるので、円と一緒に良いチーム作りをしていきたいと考えている」
――寮長となる服部和空選手はどのような人物か。期待していることは
「寮長を決める時に、監督から『誰が真面目かなぁ』と言われ、自分がパッと思いついたのが服部だったので『服部どうですか』と言ったら決まったという感じ。服部は本当に真面目で、ちゃんと仕事を全うしてくれる存在。来年度は上級生にもなるので、寮の生活をしっかり見てもらいたいという思いはある」
――主将としてのこれからの目標は
「今年もチームは3冠という目標を掲げてスタートしている。自分がブレたらチームもブレてしまうと思うので、自分はブレずに、円と一緒に中心となって目標達成に向けてチームを引っ張っていきたい」
――選手としてのこれからの目標は
「自分はまだ駅伝で区間賞を獲ったことがない。今年は最後の年にもなるので、しっかりと駅伝で区間賞を獲って終わりたいと思っている」
◆10区・青柿響(歴2)
――昨年の箱根はエントリーのみで、今年は出走となったが
「去年はエントリーされたが、1万mのタイムが良くてエントリー。怪我もあり、もともと走る予定はなかった。今年はハーフマラソンで箱根の20kmを走るための練習をしてきた。去年はハーフの練習はしていなかったため、今年度はしっかり箱根に向けて練習ができていた」
――自身が10区を任されると知った時の心境は
「箱根駅伝は陸上を始めた時の目標であり、憧れの場所だったため、素直にうれしかった」
――当日の調子は
「調子は良かった」
――レース前にはどのようなことを考えていたか
「レース前は緊張していたが、楽しんで走ろうと考えていた」
――レースプランは
「監督から『最初の15kmまでは余裕を持ったペースで行って』と言われていた。余裕を持ったペースで行きつつ、前の選手を追うというレースプランだった」
――自身の走りを振り返ると
「順位を3位に上げることができたというのは、自分としてもよかったと思うし、自信になった。また、スタミナの部分で課題も見え、スタミナがあれば2位まで行けたのかなと感じた」
――ゴール直前で東洋大に追いつかれた時、最後に振り切った時の心境は
「その前の中央大との戦いでかなりスタミナが削られていた。そのまま逃げ切りたかったが、体が動かず追いつかれた。ただ、東洋大も追いつくので精一杯だったと思うので、1回ちょっとスパートをかけてみようと思ってスパートをかけてみたらなんか逃げ切れちゃった、という感じ」
――走っている時に監督からどのような声かけがあったか
「もともとスタミナがないと言われていたので『前半余裕持っていけ』と言われた」
――付き添いや給水は誰だったか
「付き添いはマネージャーの荻原(颯太・歴4)さん。給水は10kmが東山(静也・地3)さんで、15kmが高校の先輩でもある藤本(優太・政3)さん」
――その際に何か言葉は交わしたか
「10kmは申し訳ないが、何を言っているか全然わからなかった(笑)。15kmは自分でも高校の先輩だったので貰うのを楽しみにしていたが、それも何を言っているのかはわからなかった(笑)」
――総合結果の3位という順位についてはどう考えているか
「優勝を目指しての3位という部分では悔しさもあるが、アクシデントがあった中での3位というのはチームの力があると感じた」
――今大会を経て、見つかった課題は
「チームとしては全体的なスタミナ不足が課題。個人としても、スタミナの部分が足りなかったと思う」
――レース前に「金子との歴史学科コンビ頑張ります」とコメントされていたが、5区の金子伊吹選手(歴2)の走りはどう見ていた
「テレビで見ていて、いつもふざけているのにやる時はやるんだな、と思った。かっこよかった」
――コマスポ箱根号で陸上部の方々にアンケートを取った際、仲良しコンビのランキングで鈴木選手と青柿選手が圧倒的な票数(14票)で1位になっていたが、青柿選手にとって鈴木選手はどんな存在か
「今、(目の前に)いるので恥ずかしくて言えないが、高校の時も今もレベルが違いすぎて憧れだった。まだ勝ちたいとは言えないが、目指したい存在」
――来年度の目標は
「箱根を走って優勝したいと思っていたので、優勝が目標。個人としては、往路で区間賞を獲れるような練習をして、往路を走れなくても復路で区間賞を獲れるように練習をしていきたい」