第5章        ビール

差別化の継続

 

1,キリンビールの独走にみる企業間競争

n         ビール市場の拡大とキリンビールの事業営業

Ø         戦後のビール産業はアサヒビール、サッポロビール、キリンビールの3体制でスタート

Ø         市場シェアを伸ばして独走したキリン

Ø         キリンの初期条件の優位性

     他社に比べ生産拠点・販売網を全国に点在

     戦前から全国で知られていたブランド

Ø         キリンの革新的企業行動

     活発な設備投資

     家庭用市場を中心とし販売努力

     大びんの「キリンビール」の品質向上および製造拡大に専心

n         サントリーの参入

Ø         サントリー(ウイスキー業界で市場シェア90%の優良企業)がビール産業に参入

Ø         1967年、「サントリービール純生」(生ビール)の発売で市場シェア上昇

Ø         アサヒ、サッポロもサントリーに追従し生ビールに力を入れる。キリンは追従せず「キリンビール」の販売に専心

Ø         70年代に入っても、キリンに対抗すべく、生ビールを擁し3社の差別化戦略は激しさ増す

n         1(キリン)と3(アサヒ・サッポロ・サントリー)の競争

Ø         70年代のオイルショック(73年、79年)による、日本経済の低成長

Ø         缶ビールの需要の増加でアサヒ、サッポロ、サントリーが缶ビールを発売

Ø         その後、サントリーを中心に容器による製品差別化競争が展開

Ø         「生は邪道」であるとしていたキリンも81年からようやく生ビールを発売

 

2,アサヒビールの追上げにみる企業間競争

n         アサヒビールの再建と「スーパードライ」の発売

Ø         1980年代初頭、アサヒは市場シェア10%を割る

Ø         アサヒビールの社長に村井勉が就任、会社の改革に着手

Ø         「コク」と「キレ」を求めたアサヒは、「アサヒ生ビール」を発売

Ø         86年、村井に代わって樋口廣太郎が社長に就任

Ø         市場シェアは10.5%に上昇

Ø         87年「アサヒ生ビール」はよりもっとキレのよい、もっとドライなビールである「スーパードライ」を発売

n         ドライ戦争勃発とその帰結

Ø         キリンは、アサヒの「スーパードライ」で大きな衝撃を受ける

Ø         キリンは何か新しいことをしなければならないという意識が高まりドライビールに追随

Ø         サントリー、サッポロもドライビールを販売

Ø         ドライビールの工場数で勝るアサヒが売上げ伸ばし、88年サッポロを抜いて市場シェア2位になる

Ø         「スーパードライ」の成功により、各社はまだ未開拓分野があることを認識。他社との差別化を意識し次の2つの方法で競争を展開

     各社の強力な既存商品(ナンバーワン・ブランド)への集中化を進める

     ポスト・ドライとなるような新商品の開発

n         発泡酒をめぐる企業間競争

Ø         90年代後半から、酒税が低く、低価格で販売できる発泡酒が注目される

Ø         94年、サントリーが、翌年サッポロがそれぞれ発泡酒を発売

Ø         98年、最初は販売を拒んでいたキリンも「麒麟淡麗<>」を発売

Ø         「麒麟淡麗<>」はキリンの市場シェア首位の座を維持に大きく貢献

Ø         アサヒは「本物のビールで勝負する」として発泡酒は発売せず、「スーパードライ」の販売を拡大する方針

 

 

 

疑問点

 筆者は、ビールはブランド・ロイヤリティの強い商品だと述べているが、それは今後も差別化行動のほうに比重をおいた戦略が展開されるということを言いたいのだと思う。しかし同質的競争にも同じだけの比重をおいた戦略が展開されてもいいと思うがどうなのか?