第12回 戦後日本の高度経済成長の海外要因(2)天然資源(とくに原油)の安価で豊富な輸入
*国内要因と海外要因の関連 →日本の高度経済成長の要因関連図 (再掲)
*「石油危機 <oil crisis>」ではなく「石油ショック」と言う理由=「石油枯渇による」経済危機ではない
~北海油田、シェールオイル、シェールガス。ただし地球温暖化問題。
原油の輸入と在庫1950-84 :在庫が増えて輸入が減った1974-75
原油価格の推移
原油価格の推移(アラビアンライト、ブレント&ドバイ):1957-1977_1973-1985_1980+
第2次石油ショックのあと、原油は $20/バレル → そののち $100 のときも
OPEC* が原油の公示価格を4倍に引き上げ。1973年10月~12月
*OPEC = Organization of the Petroleum Exporting Countries 石油輸出国機構
原油 1バレル の価格が $2 → $11 → $34 *石油の 1 barrel =159.0 liter
「メジャー」とは ~ International Oil Majors 国際石油資本、石油メジャー
[近況]欧米石油メジャー、過去最悪の赤字20200805|欧米石油メジャーと日本企業が油田開発20220526
第1次石油ショックと第4次中東戦争
エジプト軍とシリア軍がイスラエル占領地域に進攻 1973年10月6日 ~第4次中東戦争
中東戦争とイスラエルの領土 map
第1次石油ショックの経緯
~OPEC(上記*)による原油公示価格の引き上げと、OAPECによる生産削減 (供給削減)
1973年
9月 イラクが、エクソン、シェル、モービルなど大手6社の資産の51%国有化を決定
10.6 エジプト軍とシリア軍、イスラエル占領地域に進攻(第四次中東戦争)。
10.16 OPEC(うちペルシャ湾岸6カ国)が、原油の公示価格を 70%引き上げ。
10.17 OAPEC 緊急閣僚会議が、石油の生産を9月実績に対し 5%削減する措置の実施を決定。日本を友好国扱いせず。
11. 5 OAPEC 石油相会議、9 月実績に対して一律 25%の生産削減と 12 月以降毎月、前月比 5%の追加削減を行なう生産削減の強化を決定。
11.27 アラブ首脳会議、12月の追加削減率 5%の日本に対する免除を決定。
11.28 アラブ首脳会議、「1972 年の水準を基礎として産油国の収入減が 4 分の 1を超えない限度まで石油生産の漸減を継続する」ことを確認。
12. 8 OAPEC 閣僚会議、1974年 1月以降、毎月5%の上乗せ削減を決定。
12.22 OPEC、テヘラン会議にて 1974年 1月 1日から原油公示価格の約 2倍引き上げを決定。
12.25 OAPEC 石油相会議、1月の生産削減率を 25%から 15%に緩和し、日本を友好国扱いとすることを決定。
※ 米国、サウジへの武力行使を検討
第1次石油ショックの日本経済への影響 =重化学工業の過剰生産能力(稼働率低下)と停滞
- 高度成長期以来で初のマイナス成長 GNP 1973年 +10% → 74年 -1.3%
- 需要の低迷による素材産業の過剰生産能力
- GDPでみた製造業の構成変化~素材産業の低迷にたいする小型車と家電の成長
第2次石油ショックとイラン革命
1978年12月~3月 イランからの石油輸出が停止。世界の石油供給の10%を占めていた。
1979年2月 ホメイニがイランに帰国、プフラビー国王が出国。4月にイスラム共和国を宣言
1979年2月央 アラビアンライト原油のスポット価格が $24/バレルに。
1979年6月 OPEC原油の価格は加重平均で $20.60/バレルになる。
・・・
1981年11月 OPECが基準原油価格を $34/バレルに値上げ。
1980年代 後半 世界の石油需要の急減と石油の増産のため原油のスポット価格が下落