メコン便り(下) |
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佐藤哲夫
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メコン便りは今回が最後ということで、あっという間の2か月間でした。その間にも雨季は次第に深まって、イサーンの水田でも田植えがずいぶん進んできました。日本の田植えと違って、短期間のうちに一斉に終わるのではなく、適宜というべきか、だらだらというべきか、焦ることなく物事が進められていくこのゆるさが、タイらしいところです。 前回予告の通り、7月1日から3日まで、ダンサイでピータコンの祭りを見てきました。ダンサイへの往路は、メコン水系とチャオプラヤ水系を隔てるペッチャブーン山脈を越える道をとりました。山越えの場所は、1月にも3年ゼミの発表会で訪れたナムナオ国立公園です。その山麓のユーカリの森の中に写真のようなムラがあります。イサーン土地改革委員会の活動家であるプラモートさんの案内で村を訪ねてみました。このボーケオ村には、現在、170世帯ほどが住んでいますが、水道も電気もありません。2年前に、ここから約1.5q離れたトゥンプラ村から移ってきて家を建てたばかりだそうです。ユーカリのプランテーションの所有者であるタイ林業機構から見れば、違法な占拠者の侵入ということになりますが、この状況の背景には複雑な事情があって、村の人たちと林業機構の間で土地の権利をめぐる係争が続いています。村の人たちによれば、60年以上も前からこの土地を利用していたそうですが、1973年に林業機構がユーカリの植林を開始して対立が始まりました。村の人たちは238ヘクタールの土地の権利を主張して、その裏付けとなる証拠を集めてきましたが、近年、土地の権利の認定にあたって利用現況が重視されるようになったため、社会へのインパクトも考えて、移住を断行したそうです。タイの森林・土地政策の変遷はこの村の歴史でもあります。林業機構の所有物であるユーカリの間に植えられたバナナが、村の人たちの立場を象徴しているかのようでした。 |
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さて、ピータコン祭です。現在のピータコン祭は、写真のように、カラフルな仮面でピー(おばけ)に仮装したたくさんのグループが、ロック音楽にあわせて踊ったり、観光客と記念撮影をしたりと、にぎやかなイベントとして知られています。普段は静かなダンサイの町も、この祭りの時ばかりは観光客で大混雑します。市長さんにインタビューして、祭りの運営管理の問題などを聞きましたが、今年は総選挙の投票日を控えて土曜日の18時から酒類の販売が禁止になり、酒に酔っての喧嘩などが少なくて、少しは楽だったようです。その混雑の中で、北タイゼミの現地活動でいつもお世話になっている運転手のビィーさんと偶然会ったのには驚きました。 |
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祭りは3日間ですが、全体を通して見ると、そこにタイ=ラオの人たちの文化の重層性や、ダンサイの歴史を伺うことができます。たとえば、ピーは森の中から現われるという想定で、アニミスティックな存在でありながら、その姿には基本的な型があり、頭の上の竹籠、手に持った刀の形、腰に着けたカウベルなどに農耕と関連した要素が見られます。一方、祭りのハイライトは2日目に市内を回る行列で、仏像を先頭にして、僧侶の乗った輿がそれに続きます。行列には性別の誇張された一組の男女の巨大なピーもつき従います。最後にチャオポーグアンと呼ばれる長老の男性が雨乞いのロケットにまたがって登場すると、地元の人たちからはひときわ大きな歓声で迎えられます。この町では代々、一組の男女が長老の地位を受け継いで、地域社会で指導者的な役割をはたしてきました。彼らには先祖との間を媒介する霊的な力があると信じられています。このように、男女を区別した祖先崇拝と森林の自然崇拝的な要素が結びついて、子孫繁栄と豊穣を願う農耕祭を構成する行事は、ルアンパバーンやチャンパーサックなどのラオス側にも見られます。祭りは3日目に終日の読経でしめくくられますが、仏教との関係を解釈するためには、ダンサイの歴史と長老の役割についての理解が必要になります。より詳しい説明は別の機会に譲るとして、ここでは、ダンサイにタイとラオスの友好の証として16世紀に建立された仏塔があること、ダンサイの近くに製塩用の井戸があって地域の重要な資源となってきたことなどが幸いし、この地域は両国からの強い政治的介入を避けて文化的独自性を保つことができたのだろうと指摘するにとどめます。 |
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ダンサイからコンケンへの帰路は、東へ向かって標高500m以上の高原地帯をぬける道をとりました。ここはタイ国内でも花卉や果樹の園芸地帯として有名な地域で、タイで最初の本格的なワイナリーとして知られるシャトー・ド・ルーイもダンサイの近くにあります。花卉は業務用鉢物が中心で、クリスマスの季節が最盛期です。最近ではシイタケ栽培も伸びているそうで、栽培品目の多様化が進んでいます。バンコクへの道路事情が改善されて以来、ルーイ県では農業部門の成長により県内総生産の高い成長率が達成されてきました。残念ながら今回は詳しく調べる時間がありませんでしたが、ぜひまたいつか、調査に訪れたいところです。 |
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ダンサイから戻ってすぐ、野外調査の指導でイサーン東部に出張することになりました。150年ほど前にラオスから移住してきたソー族の村を調査したのですが、イサーンの少数民族についてはあまり知識がなかったので、むしろ私のほうがよい勉強になりました。厚かましくも、訪問先のコミュニティーラジオ局で生放送に出演してしまうなど、楽しい調査でした。メコン川に日本の協力で架けた橋のあるムクダハンでは、地域の地形的な特徴がよくわかる写真を撮ることもできましたので掲げておきます。ぜひGoogle Earth で、上空からの画像とも合わせてご覧ください。 |
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在外研究期間中、調査三昧の充実した2か月間を過ごすことができました。研究の機会を与えてくださった皆様に、心から感謝申し上げます。このメコン便りの最後は、ムクダハン対岸のサバナケットに昇る朝日の写真でしめくくりたいと思います。 |
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