ベトナム・フエ便り NO.5

フエ・フオン川の中洲-ヘン島探訪記

平井幸弘(2012.6.18記)

フオン川の3つの中洲

 フエの観光名所でもあるチャンティエン橋からは、その下流と上流の川中に、それぞれ緑の大きな島があるのを遠望できます。地図を見ると、ゆったり蛇行して流れるフオン川には、3つの大きな中洲が描かれています。ベトナム語ではコン(con:中洲の意)と表記されていますが、日本語ガイドブックでは、これらの中洲を「〜島」としているので、ここでも「〜島」と呼ぶことにします。

 フオン川の3つの中州とは、下流からa.テュソン島(Con Trieu Son)、b.ヘン島(Con Hen)、そしてc.ザーヴィエン島(Con Da Vien)の3島です(写真1)。フォルスカラー合成の衛星画像を見ると,下流のテュソン島と上流のザーヴィエン島は、島全体が赤く染まり、大部分が植生に覆われていると推測できます。地図では、下流のテュソン島の土地利用は水田だけで、人家はなく両河岸からの橋もありません。上流のザーヴィエン島では、首都ハノイとホーチミンを結ぶ南北統一鉄道がこの中洲を横断しています。地図では数軒の建物記号がありますが、一般の民家ではなく、フエ市の取水・浄水施設があります。市内の水道水は、より上流のフオン川からも取水されていますが、ザーヴィエン島で取水・浄化された水は、私が宿泊しているホテルのある旧市街地方面に給水されているそうです。

 これら上下流の2つの無人の中州に対し,フエ市街地の真ん中にあるヘン島は、島の北側約1/4が赤っぽく見えますが,全体として新旧の市街地と同じように白っぽく写っています。島の名称の「ヘン」とは、ベトナム語で「ムール貝、シジミなどの2枚貝」を意味し、ガイドブックでは”mussel islet”あるいは「シジミ島」などと紹介されています。地図によると、ヘン島にはフオン川東岸から一本の橋が架かっており,北東部をのぞく島全体に多数の人家も描かれています。そこで、今回はこのヘン島に、その自然と暮らしを訪ねてみることにしました。

写真1 フエ市を流れるフオン川と3つの中洲
(a.テュソン島 b.ヘン島, c.ザーヴィエン島,○:滞在中のホテル、フオン川と運河で囲まれた方形の範囲が旧王宮、2009.6.30撮影のALOS画像)

橋を渡ってヘン島へ

 旧王宮の城内にあるホテルからヘン島を訪ねるには、ヘン島下流のフオン川に架かる橋を渡っていったん新市街地に出て、フオン川東岸から島に渡るしかありません。ずいぶん遠回りになりますが、自転車を使って2つの橋を渡ってヘン島を訪ねることにしました。

 ヘン島最北端(下流側)から約500m離れたフオン川に架かるチョディン橋からは、島全体がよく見渡せます。南北の長さ1500m、最大幅200mの細長いヘン島が、ちょうど川を二分するように位置しているのがわかります。橋を渡っりフオン川に沿って約1300m上流に戻って右折すると、ヘン島の中央に向かう幅2mあまりの小さな橋があります(写真2)。「車両侵入禁止」と「高さ制限」の標識があり、荷物を満載したバイクとシクロが行き交っています。

 この橋を渡ってそのまま約200m直進すると、もう島の反対側に出ます。そこは、対岸の旧市街地方面への舟付き場になっています。対岸まで約200m、ほんの数分の距離です。向こう岸にも川面に下る小道と、舟付き場を示す青い標識、それに緑色のタクシーが停まっているのが見えます(写真3)。


写真2 ヘン島に渡る唯一の橋の新市街地側入り口

写真3 ヘン島西岸の舟付き場、対岸は旧市街地側


 ヘン島には、島の真ん中と西岸に、南北にのびる2本の細長い道があります。西岸の道の河岸には、広葉樹やバナナなどに混じって密集した竹林も見られ、幅数mの土手のようになっています(写真4)。洪水時には、川の流れをやわらげ、土砂の流入や堆積を防ぐ役目を担っているのでしょう。

 一方、島の真ん中の道沿いには、住宅のほか、教会や幼稚園、カフェやビリヤード店、床屋やバイク修理屋など小さな店がいろいろあります(写真5)。ある食堂の入り口には、大伸ばしの新郎新婦の写真が掲げられ、披露宴の準備中でした。この道を南端(上流側)まで行ってみると、道はそのままフオン川に没し、そこもこの島と旧市街地とを結ぶ舟付き場になっていました。

 今回は自転車で、島の2本の道を走ってみましたが、「シジミ島」と称するにしては、それらしい様子を見ることができませんでした。そこで、次は旧市街地から直接小舟でヘン島に渡り、じっくり歩いてみることにしました。


写真4 島の西岸の舟付き場と河岸の竹林

写真5 島の真ん中の細長い道と、それに沿う住宅

写真6 ヘン島最南端の舟付き場、奥に見えるのはチャンティエン橋


小舟でヘン島上陸

 ヘン島に渡る航路が複数あることがわかったので、今度は旧市街地から直接小舟で島に上陸することにしました。まず向かったのは、ドンバ市場裏手の舟付き場です(写真7、フエ便りNO.4参照)。フオン川をはさんで向こう岸は、真新しい水上レストランや高層の5つ星ホテルがそびえる新市街地で、日々急速に変貌しているように感じられます。一方ドンバ市場周辺の路上では、平底の大ざるに小さな貝(残念ながらシジミではなく巻貝)を満載した、行商の女性たちが並んでいます(写真8)。


写真7 手前がドンバ市場裏手の舟付き場、向こう岸は新市街地

写真8 ドンバ市場周辺の路上で、小さな貝を商う女性たち


 ドンバ市場裏手から小舟に乗って、ヘン島最南端に向かいます。しかし船頭は、先日確認した舟付き場でなく、島の東岸に回り込んでほどなく着岸。そこに道はなく、迷いながら人家の裏庭を通って路地を抜けると、ちょうどシジミをゆでる大釜と薪を積んだ小屋に遭遇、そばにはシジミ殻が山積みになった「貝塚」もありました(写真9)。長さ2cmほどの大量のシジミ殻に混じって、長さ10cm弱のムール貝に似た殻もあります。やはりこの島は、シジミの島だったのです。しかしこの貝塚のほか、「シジミ料理」の看板を出した数軒の食堂が目につきましたが、その他にシジミに関連するものは見当たりません。むしろ、数人の女性がミシンを前に働いている複数の縫製所が、印象に残りました。


写真9 ヘン島最南部にあったシジミの貝塚

 島の真ん中の住宅街を抜ける道は、先日訪ねたので、今回は島の北部を歩いてみました。衛星写真でも見たように、島の北部とくに北東側には人家もなく、川岸はバナナなどの畑地、その内側は湿地やハス池になっています。さらに北に進むと途中で道もなくなり、左折して西岸の川沿いの道に出ます。この付近にはほとんど商店はなく、フエの伝統的な家屋構造を示す古い民家や、先祖を祭る廟がいくつか残っていました(写真10)。


 わずか2回訪れただけですが、この小さなヘン島は、フエ市街地の真ん中にありながら、伝統的様式の民家や先祖廟が残り、静かで穏やかな雰囲気のなか、車の来ない小道をゆっくり散策できる、まるで隠れ里のようなところです。ガイドブックでは、「ヘン島はフエ名物コムヘン(シジミご飯)の本場、専門店も多い」と書かれています。しかしそれよりも、変貌はげしいフエ新市街地に対し,ほとんど変化のない家並みと、限られた空間での人々の暮らしをまるごとうかがえる、なかなか興味深い場所です。2度の探訪中、観光客にはまったく遭いませんでしたが、一度は訪ねる価値ありのとっておきの島です。


写真10 島の北西部に残る伝統的な家屋形態の民家

中洲としてのヘン島の将来

 ここに紹介したように、ヘン島は多くの人々(782世帯、約3800人:2010年)の生活の場になっています。しかし、この島はフオン川の川中に位置する中洲で、土地の高さは、河岸沿いが水面から2mほど、中央はそれより若干低くなっています。島の上流側の東側対岸ヴィダ地区に設置された洪水標識では、1999年に標高4.3mまで、1995年に同3.4m、2009年に同3.1m、そして昨年2011年11月にも同2.3mまで洪水位が上昇したことが記されています(写真11)。これらの数値は、ヘン島でも、洪水時には住宅の床下から床上、とくに1999年は軒下近くまで浸水したことを示しています。


写真11 ヘン島最南端の東側フオン川河岸にある洪水標識

 そうだとすれば、このように洪水時に島全体がフオン川の流れに沈むような中洲では、長い間に何らかの地形変化が起こっているのではないか、と言う疑問がわきます。すなわち、洪水のときに中洲の侵食や堆積が起こり、数十〜数百年というスケールで見ると、島の形や位置が変化しているのではないか、という疑問です。今のところ、これについて検討可能な正確な新旧の地図や、関連する文献は見当たりません。しかし、島の最上流地点の道路や舟付き場が、今まさにフオン川に沈まんとしている様子(写真6)や、島の上流側と下流側での土地利用の違いなどを見ると、ヘン島の形やその位置が、少しずつ変化して来たのではないと思われます。

 そして近年、フオン川上流では発電および洪水防止のための大型ダムの建設が進んでいます。そのようなダム建設によって上流から下流に流される土砂が減少したり、あるいは地球温暖化・気候変動によって海面(=フオン川の水面)が上昇したり、またフオン川の洪水が激化することなどが予想されます。もしこのような事態が進行すると、ヘン島をはじめフオン川の3つの中洲は、今後大きな影響を受けるでしょう。さらにヘン島では、近い将来「島の住民を市内山側のトゥイスワン地区に移住させて、島の観光開発を行う」という計画があるとの話も聞きました。

 フオン川の中洲の地形的な変遷と将来については、住民の災害軽減や新たな土地利用計画の観点からも、今後さらに検討する必要がありそうです。

(追記)

 グエン王朝の王宮がこの地に建設された19世紀初頭に、フオン川の中洲であるヘン島とザーヴィエン島は、当時の風水思想に基づいて、それぞれ王宮の東を守る青龍、西を守る白虎と名付けられたそうです(写真1参照)。ところが現在のそれらの位置は、王宮の範囲を示す東西の運河の位置より、いずれも300mほど下流側にずれています。200年以上前の王宮建設時に、この2つの中洲が、もともとこれくらいずれていたのか、あるいは王宮の中心軸に対してほぼ左右対称となるもう少し上流側にあったのか、気になるところです。その時代の正確な地図があれば、その検討も可能かも知れません。



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