ベトナム・フエ便り NO.3

フエのエコツーリズム

平井幸弘(2012.5.5記)

新たなツーリズムの芽生え

 最近フエ市では、前回紹介した旧王宮を中心とした観光に加え、近郊の農村や漁村の自然、そこでの人々の生活や文化に触れ交流をめざす、新しい形のツアーも始まりました。その企画や運営には、日本のJICA(国際協力事業団)から派遣された青年海外協力隊の隊員や、シニア海外ボランティアの方も深く関わっています。

 村落開発普及員として派遣された協力隊のある隊員は、フエ市郊外にある500年の歴史を持つフックティック村に一定期間ホームステイしながら、住民の観光振興に対する意識調査や観光資源の発掘調査、公平な利益配分のための組織作り促進などを行っているそうです。また、テュアティエン-フエ省(以後フエ省と略す)の文化スポーツ・観光局に観光促進アドバイザーとして来ているシニアの方は、タムジャンラグーンにのぞむクアンナイ村とヴィンアン村をめぐるエコツアーを企画し、フエ観光局の日本語HP(http://www.vietnamhuetourism.com/)にその詳細が紹介されてます。それによると、クアンナイ村を訪れたツアー客は、自転車で村内をまわりながら、畑地への人力(足踏み揚水具)による給水・散水や精米を体験し、民家で地元の野菜・魚介類を使った昼食のあと、小さな木舟でラグーンにある伝統的(粗放的)養殖施設の見学をします。そしてヴィンアン村では、フエで一番豪華と言われる砂丘上にあるアンバン地区の墓地を見学し、誰もいない白砂のビーチで水遊びを楽しむと言う内容です。このような企画によって、村が徐々に潤い、また村内のいくつかのグループが協力してホームステイ用に家を改築したり、楽しい企画を考えたりしているそうです。

 私も、先日このようなツアーのひとつとして注目されている、フエ市東方の水田地帯にあるタンテュイ村を訪ねてみました。


タンテュイ村のタントアン屋根付き橋

 フエ市中心から約8km離れたタンテュイ村には、1776年に造られた瓦屋根付きのとてもしゃれた橋が残されています(写真1)。屋根付き橋は、日本でも、NHKのテレビドラマ「坂の上の雲」のロケ地の一つとなった愛媛県内子町の田丸橋(1944年、泥橋を屋根付き橋として改築)など人気がありますが、欧米の多くのガイドブックやHPには、フエのタントアン橋が“Japanese bridge”として紹介されているようです。しかし、この橋は日本または日本人とは無関係で、フエより約110km南にある世界遺産の街ホイアンにある有名な「来遠橋(日本橋)」(1593年に日本人が建設したと伝えられ、ベトナムの2万ドン札にも描かれています)に似ていることから、単にそう呼ばれているだけです。


写真1 タンテュイ村のタントアン屋根付き橋
(村の中央を走る運河が、川(左側)と合流するすぐ手前に架けられている。2012.4.28 平井撮影、以下同じ)

 このタントアン橋は、村の出身で当時の高級官吏(マンダリン)の夫人となったTran Thi Daoと言う女性が、村人の交通・交流のために資金を出してつくられたとのことで、1925年にはグエン王朝第12代皇帝カイディエン帝が夫人に称号を贈り、村人に彼女を記念する祭壇を設けるよう命じたそうです。1990年には国の遺産に指定され、翌年新たに修復されて現在に至るとのことで、橋は全部で7区画に分かれ、中央の区画の上流側に夫人を祭る祭壇があります。この祭壇とその正面をのぞく橋の両脇には、幅約30cmのベンチが設けられており、そこではご婦人たちが話し込んだりお年寄りが寝ていたり、この橋の上は村のサロンまたは最高の涼みどころになっているようです(写真2)。


写真2 タントアン屋根付き橋の内部
(橋の中央部上流側(右側)がDao夫人の祭壇で、その向こう側では村のお年寄りが昼寝中)

 橋の南側のたもとには村の市場と広場があり、大勢の村人がおもに食料品の売買をしていました(写真3)。広場には、わずかばかりの飲み物を提供する屋台がいくつかあるくらいで、橋は外部の人のための観光資源と言うよりも、村人の生活の中心にあり、普段の暮らしと深く結びついている存在と言う感じです。そこが、この橋の最大の魅力だと思いました。


写真3 タントアン屋根付き橋の南橋詰にある村の市場


エコツーリズムの振興

 このタントアン橋をめぐっては、先のフェスティバル・フエを報じる新聞でも、その期間中2度ほど紹介記事がありました。一つは、4月8日に開かれたこの村のRural market festivalの話題で、そこでは地元の食事が振る舞われ、農機具や漁具などの展示、ヤシの葉の帽子の手作り実演と販売(一つ40,000VND、約160円)がなされ、川でボートレースも行われたそうです(Viet Nam News、2012.4.9)。また、タントアン橋の記念切手(写真4)が新しく発行されたことも紹介されていました。もう一つの記事は、外国からの旅行者らが地元の人たちと一緒に、タントアン橋の上(中)でギターを弾いて楽しんでいる写真が載せてありました(同、2012.4.14)。

 また、4月28日付のViet Nam Newsの農業面(ON THE FARM)では、メコンデルタ北西部のアンジャン省で、農民の所得増加を目的とした「農業ツーリズムプロジェクト」の実施にしたがい、ホーチミン市の旅行会社との協力を強化する旨を伝えています。この「農業ツーリズム」とは、旅行者が地元の農家に泊まり、伝統的な祭りや食事を楽しみ、農作業に参加するというものです。アンジャン省での受け入れ客数は、2009年に3,000人、2010年に7,000人、2011年に10,000人と増えており、省では2014年には国内から13,000人、海外から650人の旅行者を期待しているとのことです。

 ここに紹介したように、政府や各省の観光や農業関連の部局や組織などは、現在それぞれの農村や漁村の経済的向上に資するツーリズムの開発や発展を、各地で進めているようです。これらを一口にエコツーリズムと呼んで良いかどうか、言葉の定義の問題はここでは触れず、従来のマスツーリズムとは違うベトナムでの新しいツーリズムとして、これから注目されると思います。


写真4 記念切手になったタントアン屋根付き橋(左側)
(ベトナムから日本へのポストカードは12,000VND(約50円)で届きます。)


洪水への対応とツーリズム

 ところで、タントアン橋を渡った北側には、川に面して学校やお寺などの村の公共施設があります。その河岸には、過去の洪水を示す高さ3mをこえる柱が建ててあり、1999年の大洪水時には3.04mまで、1995年には2.15mまで浸水したことが標されています(写真5)。この柱のある地面が1.1mの高さなので、1999年にはこの村は水深約2mの大洪水になったわけです。1999年の洪水では、全体で約800人そのうちフエ省で約370人の死者が出ましたが、この村でも多くの犠牲者があり、この橋も一部損壊したそうです。

 もともとこの村は、土地の標高が低く、現在はフエ市中心を流れるフオン川がつくった旧自然堤防と、2列ある海岸浜堤列の背後のいわゆる後背湿地に位置しています。そのため雨期には、水位がかなり上がり洪水に遭いやすい場所で、近年はその規模が大きくなり頻度も増しているようです。そのような頻発する洪水に対して、今後はハードな防災対策も考える必要があるかもしれませんが、まずはソフトな対応としてこの洪水標識を活かした防災教育や、いざという時の避難体制(誰が、いつ、どこに、どのように)の確立など、住民にとって重要な課題でしょう。また、ここを訪れる旅行者にしても、今は洪水標識に気づく人はほとんどいないようですが、このタンテュイ村の自然や村人の洪水に対する生活を理解する上で、洪水標はタントアン橋とともにエコツアーの重要な資源の一つと思います。


写真5 タントアン屋根付き橋のすぐ近くにある洪水標識
(このような洪水標は、フエ市内および周辺の平野に複数設置されている。)


 5月に入り、ここフエはますます暑くなってきました。新聞の天気予報では、連日最低27〜28度、最高36〜38度で、夕方には激しい雷鳴が轟き、しかしなかなか雨は降りません。5月3日のViet Nam Newsは一面で、この季節外れの酷暑が原因で、フエとダナンの間にあるハイヴァン峠付近の約30haが、山火事で消失したと報じています。あまりに暑すぎるので,今回はここまでにしましょう。

(前回の補足)

 前回の「便り」の中で、フェスティバル・フエの訪問者数をViet Nam New(2012.4.14) の記事から、延べ65,000人(うち3万人は外国人)と引用しましたが、これはおそらく入場券を買って会場(旧王宮)に入場した人数と思われます。私が見た範囲でも、毎夜旧王宮を取り巻く城壁の外側・堀の周辺に数多くの市民が繰り出していたので、実際に祭典およびその関連行事を楽しんだ人数は、新聞が報じる数字よりかなり多いと思います。なお、祭典が終わった翌日(4月16日)から、旧王宮への入場料がそれまでの55,000VND(外国人)から80,000VND(約320円)に改訂されました(ベトナム人は30,000VNDから55,000VND)。


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