ベトナム・フエ便り NO.2

フェスティバル・フエ2012

平井幸弘(2012.4.26記)

2年に一度の祭典

 フエ市に到着したのは4月1日(日曜日)の午後でしたが、街中に”Festival Hue 2012”のポスター(写真1)、看板、幟、横断幕等が飾られ、街も人々も何となく落ち着かない様子。それもそのはず、7日(土曜日)から15日(日曜日)まで9日間連続で、フエ市の旧王宮を中心に、2年ぶりに第7回フェスティバルが行われる直前だったのです。しかも、今年は政府が「ベトナム国際観光年」と宣言し、フエを中心に1年を通して国内各地で観光に焦点を当てた企画がなされ、このフエの祭典にはかなり力を入れていたようです。

 フエ市内各地では、その準備のために各所でパフォーマンスの舞台や観客席の設置、植栽の手入れ、道路・歩道の修理などに追い込まれていました。フェスティバルに合わせて、旧王宮の建物の一部を利用して、観光客目当てのカフェも1〜2週間前に急遽開店したとか。

 いよいよ祭典初日の7日夜8時から、首相ほかを招いて開会式のセレモニーが華々しく始まり、その様子は国営テレビで完全生中継されました。その後、毎夜7時半から10時前後まで、おもに旧王宮の内外15カ所のステージで、国内および世界各地からの、歌やダンス、その他パフォーマンスが繰り広げられました。日本からは沖縄のグループによる舞踊もありました。この祭典期間中、延べ約65、000人が訪れ、そのうち約3万人は外国人だったそうです(Viet Nam News、 4/14)その様子は、インターネットにもたくさん掲載されているので、詳しくは見ていただくとして、以下は私の個人的な「祭典見聞録」を報告しましょう。


写真1 フェスティバル・フエ2012のプログラム表紙

一般市民とフェスティバル

 開会式の夜、私も歩いて5分ほどの会場付近まで行ってみましたが、ただただ大勢の市民が集まっているだけで、何も見えません。式典会場に入るには、あらかじめ高額のチケットを購入しておかなければならなかったようで、一般の市民はセレモニーそのものが目当てと言う訳でもなく、家族、友人、恋人同士で三々五々、夕涼みしながら会場周辺をぶらぶら歩くのが、なんとも楽しそうです。旧王宮の正門(午門)前では、食べ物、飲み物、おもちゃなどの屋台が出ていて、子供達はそれだけで満足。

 翌日(日曜日)は、午後から旧王宮内に行ってみました(入場料約220円)が、各種催し物は夜7時半以降なので、昼間は修復・復元された王宮の建物やその内部の展示物の見学が主です。ところがちょうど、「ミス・アオザイコンテスト」出場予定者が、午門近くでリハーサルをしていました(写真2)。たすきに書かれた文字を見ると、フエ省内および周辺都市からの若い(学校?)代表者のようで、みんなスタイルがよく笑顔もすてきでした。一方夕方、旧王宮北東側の顕仁門付近では、若い青年達がやはり夜の出し物の準備中で、カメラを向けると、手にした提灯にわざわざ灯をともし笏(しゃく)を掲げて、ポーズしてくれました(写真3)。地元フエの若者でしょうか。


写真2 ミス・アオザイコンテストの出場者たち

写真3 旧王宮北東側の顕仁門付近で出演準備中の若者

 4月9日(月曜日)から新しい週が始まり(ただしベトナム語での曜日の呼称は,日曜日を「第1の日」と呼び、意識としては日曜日が週の初め?)、昼間は大学で研究・調査の準備を進めました。が、せっかくフエに来ているのに2年に1回の祭典に参加しないのもどうかと思い、再び祭典4日目の今度は夜に旧王宮内に入場。国内外からの観光客のほか、多くの一般市民も家族連れで祭典を楽しんでいました。場内各所からパフォーマンスの音楽が響き、時折打ち上げられる花火に歓声があがります(写真4)。正門(午門)から王宮の中心施設である太和殿に向かう橋の上では、左右の欄干にそって色とりどりのアオザイ美人が十数人並んで歓迎、外国人観光客にはひときわ好評でした(写真5)。


写真4 フェスティバル4日目のImperial Nightで賑わう旧王宮内

写真5 王宮の中心施設である太和殿に向かう橋上のアオザイ美人

 祭典5日目の夜7時半には、旧王宮を囲む道路のうち北東側の道路(私の宿所の目の前の通り)の延長約500mで、両側の並木から吊るされたかがり火が一斉にたかれ、さらにこれに沿う堀に浮かべた多数のポッドにも灯がともり、幻想的な夜となりました(写真6)。しばらくすると街路灯もすべて消され、多く人々が自然の炎を見ながらそぞろ歩きを楽しんでいました。


写真6 フェスティバル5日目、旧王宮北東側の道路でのかがり火


 かくして9日間もの祭典は、無事に終わりました。私や多くの市民は、新聞やテレビで報道された華々しいパフォーマンス(その多くは高額の予約制チケットが必要だった様子)を見ることなく過ごしましたが、フエの旧王宮を舞台にした様々な催しに、市民もそれなりに参加し楽しんでいたようです。

祭りの後で

 一連の「フェスティバル・フエ2012」が終わり、旧王宮周辺の市街地もいたって静かな普通の街、落ち着いた市民生活に戻りました。旧王宮を囲む城郭や建物群は、多くの観光客が訪れるユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。しかしその世界遺産も、一般の市民にとっては、日々の暮らしの中ではとくに意識することなく,生活の一部となっているように感じます。城壁の外周を巡る堀沿いの道では、早朝からウオーキングする人(ベトナムでは定年が女性55才、男性60才なので、定年退職した年配の人が多い)が絶えませんし、その脇の草むらでは、朝露の残る香草を袋いっぱい取るおばあさん、夕方には虫を追いかける少年、また堀では朝夕魚釣りするおじさんたちを見かけます。旧王宮の正門(午門)西側の小さな広場には,なぜか白線が引かれネットを張るための2本のポールがおいてあります。朝日から陰になるこの場所は、地元のお年寄りが毎日朝7時頃までバドミントンを楽しんでいます。

 大勢の人が訪れた「フェスティバル」のあと、堀沿いの手すりが少なくとも5箇所ほど損壊しているのに気づきました。修理もされずそのままの状態のある日、自転車でやって来てご婦人が、早朝ウオーキングしていた私の目の前で、崩れてバラバラになった部材から15×30cm程度のレンガを2個さっさと持ち去ったのには、少々驚きました。

  ユネスコに登録された「世界遺産」、それを舞台に政府が主導する「フェスティバル・フエ」、それに対し、ここに住む一般の人たちの意識はいったいどのようなものなのか、いちど系統的に探ってみるのも面白そうです。

(前回の訂正と補足)

 前回のフエ便りNO.1で紹介したフエのBanh Canh(バインカイン)ですが、『地球の・・・』ガイドブックには「タピオカの粉から・・・」と記されていたのですが、最近はちょっと状況が違うようです。フエでバインカインと呼ばれる麺には、キャッサバの塊根からとった澱粉(これをタピオカと呼ぶ)、米粉、そして小麦粉からつくられる3種類があって、現在普通は小麦粉から作る麺だそうです。したがって、前回載せたバインカインの写真は、日本と同じ小麦粉から作った太麺、すなわち「うどん」でした。タピオカや米粉から作るバインカインは、とくに注文しないと出てこないと言うことです。しかし調べてみると、日本で作る冷凍うどんには、「茹で戻してからの弾力を得るために、主にタピオカなどの澱粉がつなぎとして使われる」(ウィキペディア)とあったりして、この「日本のうどん」と「フエのバインカイン」との関係は微妙です。



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