ブータン便り NO.1 |
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江口 卓
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ブータンに在外研究で4月から滞在している江口です。もうすでに2カ月がたちましたが、これから来年3月まで、日本では伝えられることの少ないブータンの情報について、随時お送りしていきたいと考えています。 私は今、首都であるティンプーに住んで、ブータン農林省の研究所で研究を行っています。首都ティンプーに住んでいるといっても、中心地から車で15分ぐらいかかるOlakha(オラカ)という新興住宅地にあるアパートの一室を借りています。まさに現在開発中という地域で、周りには建設中のアパートがたくさんみられます。このオラカ地域の開発に関しては、別に詳しく書きたいと思います。 私が所属している研究所は、農林省のRNR-RDC−Yusipangというところです(写真1)。RNR-RDCとは、Renewable
Natural Resources Research and Development Center(再生可能自然資源研究・開発研究所)の略称で、全国に4つある研究所の西部を担当するのがYusipangです。Yusipangは研究所のあるところの地名で、ティンプー市内から車で30分近くかかります。研究所員は、首都ティンプーに住んでいる人も多く、私も含めティンプー市内から出る研究所専用のバスに乗って、朝9時すぎに研究所に出勤します。帰りは、研究所を17時に出るバスに乗ってほとんどの職員が帰宅します。研究分野としては、森林、農業、園芸、畜産などの研究分野があって、私は森林の研究室に所属しています。 |
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4月以降、ブータンで最も大きな話題は、4月28日〜29日の2日間、「気候変化」をテーマにブータンで開催された第16回SAARC首脳会議です(写真2)。SAARCは、South Asia Association for Regional Cooperation(南アジア地域協力連合)の略称で、インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、ネパール、ブータン、モルディブ、アフガニスタンの8カ国が加盟し、オブザーバーとして日本、中国、米国などが承認されています。1985年に結成され、今年が結成25周年の記念の年となり、16回目の首脳会議がブータンの首都ティンプーで行われました。日本からは、外務大臣政務官がオブザーバーとして会議に参加しました。 |
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SAARC首脳会議がブータンで開催されるのは初めてということで、特に警備には気が使われたようです。開催前に、20台ぐらいの警察のバイクを先頭に、10台以上の乗用車の車列が続いているのを何回か見かけたので、「王様の車列か?」とブータンの友人に聞くと、あれはSAARCの要人警護の訓練だと教えてくれました。飛行場のあるパロから首都のティンプーまで各国の要人を警護するための訓練だったようです。また、各国の要人が空港と首都のティンプーを移動する際には、最初は半日以上にわたって主要道路を通行止めするという計画だったようですが、生活への影響が大きいこともあって、要人通過の前後だけ通行止めをすることに落ち着いたようです。開催中は、市内への車の乗り入れがナンバーによって規制され、またブータン人には政府から民族服の着用が要請されたため、いつもと比べ市内は落ち着いてきれいな雰囲気でした。 会議初日には、各国首脳のスピーチがブータンのテレビで生中継され、テレビにくぎ付けになっていたブータン人も多かったようです。今回の会議に際して、国王がどのような役割を果たすかについて、私は個人的に興味がありました。会議は、ブータン王国首相ジグミ・Y・ティンレイ氏の主導で行われ、王族は現国王の兄弟が来賓として出席していただけでした。国王は、各国首脳をSAARCのために建てられた宿泊施設に自ら訪れ、歓迎のあいさつをしたのみでした。政治の実権が、確実に国王から2007-08年の選挙によって選ばれた国会議員によって構成された政府および議会へと移っているように感じました。ブータンおよび国民にとっては、滞りなく重要な国際会議を開催したことが最も大きな成果だったように思います。 最後に専門に関する話を一つ、日本でも4月は天候が不順だったようですが、ブータンでも今年は気候が変だという話をよく聞きました。3月末には大雨が降り、4月以降も雨が多く、気温が低い状態が続きました。例年は、プレモンスーン期ということで気温も高く、降水も少ないようですが、今年のプレモンスーン季は異常な年だったようです。 |